雷雨

久しぶりの大雨。

11時頃にスークのファルコンショップでのんびりしていたら、ドカンと大きな雷が落ち、しばらくしたら雨が降り始めた。

店の中で鷹を撮りながら雨が止むのを待ってみたが、日差しも覗く不思議な天気の割には、一向に収まりそうにない。昼飯の時間に遅れそうだったので、地下駐車場の入り口まで雨に濡れながら移動。

海岸通りへ出たあたりから雨脚が強くなり、5分もしないうちに道路のあちこちに水たまりが。

家に着く直前にはあられ混じりの強い雨となった。

こんな激しい雨は記憶にない。まして、あられなどドーハに17年住んで初めて目にした。

1時間ほどして、想定通りアパートの窓枠から雨が漏れ始める。地下駐車場が気になって降りてみたら、排水口が水を処理しきれなくなって溢れている。このままだと踝よりも上に水面が届きそうだ。慌てて外へ。あられが気になったら、水没するよりはマシだろうと判断して、アパートの窓から様子が伺える位置に駐車した。

雨は結局15時過ぎまで降り続けた。

翌日の報道によれば、平年の1年分の雨量が1日で降ったらしい。

職場のタワービルは電源が浸水したらしく、殆どのフロアで停電になっていた。

年に何度も雨は降らない国。だから排水設備などにコストをかけずに建てる。

大雨が降ると騒ぎにはなるが、それとて数日のことだ。

しかし、2022年のワールドカップで今回のような大雨が降ったら、そうも言っていられないだろう。

 

ドーハメトロ

来年初頭までには開通予定のドーハメトロ。

初乗り運賃が2リヤル(約60円)に設定されることになったらしい。

現在全人口の1%に満たない「公共交通機関利用者」を20%にまで引き揚げること、交通量を半分にすること、が目標として掲げられている。

駅から自宅までのラストワンマイルをカバーする手段としては、先週タクシー会社カルワとの「割引料金」などの協業も発表された。

 

Doha Metro to offer cheap rides, starting at only QR2! (from “I love Qatar”)

捜し物

来週の今頃は、また日常に身を置いているはずだ。

昨日はドーハの職場に連絡を入れた。予定よりも延びてしまった休暇の調整を頼むのが目的だったが、久しぶりに聞く同僚や上司の声に、気持ちが一気に持っていかれる。

日本にいても、タイにいても、いつもカタールのことばかり考えてしまう。

写真を撮る身としては、あの国には絶望にも似た気持ちしか持てないままだというのに、私はまだあの国に隠された宝石を見つけていないような気がして、それが何なのかを知りたくて、だから諦めきれずにファインダーを覗いているのかもしれない。

施し

タイ深南部の村では、家族の誰かが援助を必要とする事態に出くわすと、隣近所や親類を家に招く。招かれた先では簡素な食事が提供され、参加者は幾ばくかの寄付をする。額は大体200バーツが相場だ。

今日もそんな食事会に誘われたとかで妻と義妹、義父母を乗せて出かけることになった。

今日の招集理由は「息子が交通事故に遭い、手術や入院の費用が要る」というものだった。

会場に入ると男女別に分かれて座る。義父が隣にいるので心強いものの、マレー語がからっきしなので、いつもこういう席では落ち着かない。

今日は幸いサウジ出稼ぎ経験のある年配者が複数いて声を掛けてくれた。やはりアラビア語で話している方が楽だ。

白い髭を蓄えた恰幅の良いおじさんは、タバコに火とつけスパスパと吸いながらサウジにいた頃の話をしたり、私がカタールでどう暮らしているのかを尋ねたり。アラビア語話者には宗教系学問を修めるためにアラブ諸国に渡った人が大半だが、たまにこういうチョイ悪オヤジもいて、何故か気に入られたりするのが毎度のパターン。

食事はカノムチーンという「素麺のような米粉麺に魚のすり身カレーを掛けて」食べる料理。

一杯だけ頂き、帰り際に家の主人か奥さんに寄付を手渡してその場を後にする。

施す方にプレッシャーを与えず、施しを請う側も惨めな思いをせずに済む。村人たちの知恵の一つだ。

休息

 

台風のせいで思った以上に長居をしてしまった。

来週の今頃はパタニの村でのんびりと田舎暮らしに身を置いているはずだ。

自分にとって、日本もカタールもタイも「戻る」場所。数年後のことは判らないが、今はまだどこか一つを居場所として選ぶことは出来ない。家を建てたタイの片田舎を終の棲家と決めてはいるが、それとて確かな未来ではないだろう。

約一ヶ月の日本滞在。その殆どを実家で過ごした。

日本を飛び出す前まで住んでいた借家は、大家の不条理な行為によって立ち退きに。

両親は隣町へと引っ越し、そこへ毎年足を運ぶようになって10年が経つが、1年を通じて四季を感じながら暮らしたわけでもないその家に、私は実家という感触を持てないままでいる。

とはいえ母の顔を見ればホッとする。同時に側にいてやれない親不孝な自分を呪う。

滞在中に親しい人が何人かこの世を去った。別れのもたらす突き放すような感覚には慣れていたつもりだったが、もう二度と会えなくなったという事実が、自分が思う以上に心を押し潰そうとしている。

この景色を目にするのはこれが最後かもしれない。そう思いながら、私は明日また飛び立つ。

いつものことだ。

 

日本を飛び出して20年目を迎える前に、今いる場所へと至る遠い過去の記憶を掘り起こす機会を得た。

若かった。後先考えない自分がいた。

それでも、何ひとつたりとも後悔することは、記憶をたどる中で見つけることはできなかった。

 

あぁ…。また長くて短い1日を積み重ねていこう。

もう会えなくなってしまった人へ

 

あなたには聞きたいことがたくさんあった。話したいことがたくさんあった。

きっとこれからも聞いて欲しい出来事はたくさん起こるだろう。

でも、目を細めて笑いながら話を聞いてくれるあなたはもういない。

同じ国に縁を持ち、その国に生まれ育った人を伴侶とし、長い年月をそこで過ごしたあなたは、私にとってこれからもずっと憧れの人。

あの国を見下ろす窓から、私はあなたのことを思い出すだろう。

トランジットの人混みの中に、私はあなたの姿を探してしまうだろう。

あなたの落胆した顔を見たくないから、この先も私は全身全霊でファインダーを覗こう。あなたがそうしてきたように。

 

短い間だったけれど、あなたと知り合えたことは私の人生にとって代え難い大切なこと。

 

ありがとう。

そして、さようなら。

民族衣装を着る

An Arabic man wearing traditional Arabic dress (Thoub).

初めてアラブ服(”トウブ”あるいは”カンドーラ”と呼ばれる白いワンピース状の男性用着衣)を着たのは、UAEに留学して半年ほど経った頃だ。

念願だったアラブでの留学生活。サウジに住む知人から以前貰ったトウブを着る気満々だった私は、ローカル(湾岸人)から「君は外国人だろう?軽々しく着ないほうがいいよ」と忠告を受ける。そういえば学生寮や学内でローカルと同じ格好をしている外国人留学生は一人も見かけない。外国人ましてアジア系が気軽に真似して良いものではないと感じ、憧れはありながらも諦めて洋服で過ごすことにした。

夏休みに入る前に、ローカルの友達を訪ねてアブダビへ行った際に、市場に付き合ってもらってアラブ服と被り物一式(ゴトラとイガール)を買った。しかし、ここでも彼からは「着るのは休みの日だけにした方がいいね」と言われた。

それでも、元々自分はムスリムだから被り物さえしなければ問題ないだろうと、夏休みが明けた新学期からアラブ服だけを着て登校するようになった。

やや奇異な目を向けられている気はしたが、特に文句を言われることもなく、次第にそれが普段着になっていった。

2年目の初めに地元に住むベドウィン系ローカルたちと知り合った。子供たちが「どうしてゴトラ(頭に巻く白い布)を着ないの?」と聞いてくるので「自分は外国人だから、着ないほうがいいと思って」と答えると「タケシは僕たちと一緒にいるんだもん、そんなの気にしなくていいよ!」

それならば、と次の日は見よう見まねで頭に巻いて行った。しかし適当に巻いているので見た目がUAE人のそれとは程遠い。そのだらしない格好を見かねた子供たちがきちんとした巻き方をレクチャーしてくれた。

それ以降、UAEを離れるまでその格好で過ごすことになるのだが、学生寮内などでの周囲からの目線はそれまで以上に突き刺さるようになる。

それでも着用し続けた理由。それは子供たちも含めた部族の大人たちから「それでいい」と認められたこと、その一点に尽きる。しばらくすると洋服で出向くことが失礼に当たるような雰囲気になり、やがてアラブ服を着る以外の選択肢はなくなってしまった。

そしてカタールへ。

カタール人はUAE人の若い世代がやるようなターバン巻き(ハムダーニーヤと呼ばれる)はやらない。小さい子供でも正装する時はゴトラの上にイガール(黒い輪っか)を載せる。

ターバンスタイルだった私は、ここでまた周囲から浮いてしまう。

しかし自分でイガールを買って被るのには抵抗が。ただカタール人の真似をして浮かれているだけだと思われるようで嫌だった。同時にどこかUAEでの暮らしを捨てるような後ろめたい気持ちもあった。

一年ほど経ち部族の本家に遊びに行った際に、「もうお前はカタールに住んでいるんだ。いつまでもUAE人の格好をしていてはいかんぞ」と言われ、新品のイガールを渡された。

気恥ずかしさと初々しさがないまぜになる、そんな久しぶりに味わう酸っぱい気分のまま翌日職場へ。

職場では同僚たちが最初は驚いた様子を見せたが、「何故その格好をしているのか」とたしなめたり批判したりする人はいなかった。

それ以来今日まで、年に一度のスポーツデーを除くと仕事ではカタール人同僚たちと同じスタイル。プライベートでも週末に海辺へ出掛けたりする時だけ洋服を着用し、それ以外でカタール国内にいる間はどこへ行くにもこの格好。

日本大使館の新年会にもアラブ服のままで行くので、正直警戒されてるのは薄々感じている。しかし、今更洋服を着ようと思わないし、もしそんなところを部族の人間に見られでもしたら、何を言われるかわからない。ベドウィンたちは八方美人を最も嫌う。カタール人に敬意を評して着用するなら、どんな場合であっても筋を通さなくてはならない。

モールを歩いていると「擦れ違うカタール人がガン見してるわ」と嫁さんがいつも笑う。

外国人、特にアジア系がこの格好をすることに不快感を持つカタール人が少なからずいるが、大半の人は歓迎してくれる。ただし、コスプレよろしく”特定の場でお試しのように着用”するならという条件付きだ。つまり結婚式や知人のマジリスなど限られた空間でなら構わないということ。

モールなど公共の場、まして職場などの正式な場においてこの格好をするのはハードルが高い。アラビア語で会話ができなければ、それだけで場の空気が白けるし、マナーや所作も大事だ。走り回ったりするのは端ないと見られるし、アイロンがけを忘れて皺くちゃのままなど論外。また意外と難しいのが食事で、相当慣れていないと真っ白なアラブ服のあちこちに染みが出来る。

外見だけを真似て中身が伴わないのでは、相手へのリスペクトの気持ちは伝わらないのだ。

そして最も大事なのは”自分が外国人だと自覚する”こと。カタール人を気取ることは「思い上がり」と映る。あくまでも他所者としてこの国に住んでいる事実を忘れてはいけない。

挨拶と敬意

湾岸人同士の挨拶の基本は右頬を3回軽く触れさせるものだが、外国人、特に非アラブ系が相手の場合は握手で済ませる人も多い。

一方で同じ湾岸人でもベドウィン系の挨拶は独特だ。お互いの鼻と鼻をチョンと触れさせる。顔を至近距離まで近づけるこの挨拶は、通常は同じ部族や付き合いのある部族の出身者同士でしかやらない。ただし、若い世代だと相手が外国人でも付き合いの深い場合は親しみを込めてやることもある。

長老や年長者に対しては鼻の頭か額にキスをするのが最敬礼の形になる。だが、これは外国人が通常やってはいけない挨拶。何故なら、この挨拶は単なる形ではないからだ。

相手に「自分は何も(武器など)持っていない」ことを証明する行為である「握手」と違うのは、この行為は「相手に対する畏敬の念」が前提という点であり、主人と客という以上の人間関係を持たない外国人が、湾岸人になったつもりで真似をしたところで、所詮は「形だけ」だと映り、周囲の失笑をかう。

そもそも相手が外国人なら長老も顔を近づけてきたりはしないし、こちらから顔を近づけようとすれば握手している手をぐっと押し返してくる場合もある。それは「お前にはその資格はない」という意思表示だ。

どんな社会あるいは共同体においても、それぞれの立ち位置というものが必ずある。一方的な思い込みだけで相手の懐に入ったつもりになって、表面的なことだけを真似てみても、結局は余所者扱いで距離を置かれてしまう。自分の立場を自覚し、相手から期待される言動を心がける。最初の一歩はそこからしか始まらない。

人口統計

開発計画省が毎月登録した番号宛てにSNSで配信している「月別人口統計」、7月は先月比で5.1%減少、前年度と比較しても0.9%の減少だったようだ。

ちなみに6月は前月比で5.5%の減少(前年度比では1.4%の増加)。

この2ヶ月で30万人がいなくなった計算だが、これは夏休みに伴う主に外国人労働者の長期休暇の影響が大きい。
今月半ばのイード休暇が明ければ、学校が始まるためまた増加に転じるはずだ。

カタールの人口はすでに200万人を超えているが、私が渡ってきた当時の16年前は100万人弱。在留邦人の数も100人を切っていた。

Scroll to top