辿り着く先

先般ネットで公開された記事に対する反応は、自分が想像しているよりも広がっていた。

「海外で独り頑張る日本人」

多くの人がそういうイメージを重ねてきたことも軽くショックだった。

海外で暮らす日本人を紹介するテレビ番組が日本で受ける理由が分かったような気がする。

残念ながら、私は皆さんが思うような苦労も努力もしてこなかった。カタールに渡ってきたことも、ベドウィンと知り合ったことも、狙って得たものではないのだ。いや、そもそも狙うどころか考えたことさえなかった。結果として自分が望んだことへと全ては繋がっているが、それはあくまでも結果であって、そうなるように何かをしてきたわけではない。

まして、キャリアなどと呼べるような大それた話でもなく、ただただ目の前の流れに身を任せていたら、こんなところにまで辿り着いたというのが本音。一言で言うなら「偶然」とか「幸運」だろうか。

人は誰しも、自分ならぬ誰か、あるいは今ならぬいつかの自分に思いを馳せ、そうであれば良いのにと願うもの。

しかし、自分の道は自分にしか見えないし、自分の足でしか歩いて行くことはできない。他人の道をなぞっても、同じ場所へたどり着けるわけではない。富豪の生活を一寸違わず真似たとしても富豪になれないのと同じ。

共同体の一員となる意味

月曜日の夜は友達の家のマジリスに集まるのが恒例。

通常マジリスにはその家の主人をホストに、兄弟や息子たち、従兄弟や再従兄弟といった親族が集まる。

時折、メンバーの知人として外国人が招かれることはあるが数は少なく、同じカタール人であっても息子たちが学校の友だちなどを連れてくることはまずない。本当に身内だけの集まりなのだ。

マジリスに入ってきた人は、まず中央に座る主人と、そして反時計回りに挨拶をしていく。

子供たちも精一杯の大人顔をしながらの挨拶。しかし、明らかに外国人だと判る客に対しては、やや距離を置いたような雰囲気で握手の手を差し出すだけ。

そんな彼らは、私には当たり前のような顔で鼻ちょんをしてくる。私が日本人であることを彼らは知っている。それでもベドウィン式に挨拶をしてくるのには、「父あるいは兄の大事な友だち」という認識だけではない何かを感じ、嬉しいと同時にこそばゆい気持ちになる。

初対面の大人からもベドウィン式に挨拶をされることもあるし、部族の年長者に私が最敬礼の意味で額に口づけをしても笑う者は誰もいない。

 

そうすることが当たり前。

 

部族の中に居場所を与えられたことへの光栄と、外国人だからという言い訳が一切許されないという緊張がそこにある。

この国との関わりの中で

 

今月に入ってからザワザワとしたニュースが駆け巡った。

そんな今に自分がこの国に居る、そこに意味を探したくて、あれこれともっともらしいことを書きなぐった。

騒動が少しずつ収束し、誰もが自らの当事者性の薄さに気がつき始めた頃、私もまたそんな行為にどこか虚しさを感じ始めている。

かつて、誰かかしら「今いる場所について」何かを尋ねられる度に、自分はこの国に、ここにいる人々に、研究対象としての目線を投げかけたくないのだと苛立った。ただただ、彼らと暮らしていくことに安堵を持ち続けられれば、それで良かった。

この国が日本でも少し名前を知られるようになって、だからかも知れないが、何かをそれらしく語らなければ、これまでの年月が無駄になるような強迫観念に囚われていた。

そんな思いの中で、今年二つの記事が日本のメディアに掲載された。

私の海外サバイバル

『アラブ世界と福嶋タケシ』後編:砂と太陽の異世界にあこがれて

 

これまでの話と、今の話。

自分自身が経験してきたことをただただ語る。それこそが自分に出来ることなのだと思い返すきっかけとなった。

肩肘を貼ることはない。目の前に広がる、自分だからこそ見ることとのできる光景を記録していけばいいのだ。

雷雨

久しぶりの大雨。

11時頃にスークのファルコンショップでのんびりしていたら、ドカンと大きな雷が落ち、しばらくしたら雨が降り始めた。

店の中で鷹を撮りながら雨が止むのを待ってみたが、日差しも覗く不思議な天気の割には、一向に収まりそうにない。昼飯の時間に遅れそうだったので、地下駐車場の入り口まで雨に濡れながら移動。

海岸通りへ出たあたりから雨脚が強くなり、5分もしないうちに道路のあちこちに水たまりが。

家に着く直前にはあられ混じりの強い雨となった。

こんな激しい雨は記憶にない。まして、あられなどドーハに17年住んで初めて目にした。

1時間ほどして、想定通りアパートの窓枠から雨が漏れ始める。地下駐車場が気になって降りてみたら、排水口が水を処理しきれなくなって溢れている。このままだと踝よりも上に水面が届きそうだ。慌てて外へ。あられが気になったら、水没するよりはマシだろうと判断して、アパートの窓から様子が伺える位置に駐車した。

雨は結局15時過ぎまで降り続けた。

翌日の報道によれば、平年の1年分の雨量が1日で降ったらしい。

職場のタワービルは電源が浸水したらしく、殆どのフロアで停電になっていた。

年に何度も雨は降らない国。だから排水設備などにコストをかけずに建てる。

大雨が降ると騒ぎにはなるが、それとて数日のことだ。

しかし、2022年のワールドカップで今回のような大雨が降ったら、そうも言っていられないだろう。

 

ドーハメトロ

来年初頭までには開通予定のドーハメトロ。

初乗り運賃が2リヤル(約60円)に設定されることになったらしい。

現在全人口の1%に満たない「公共交通機関利用者」を20%にまで引き揚げること、交通量を半分にすること、が目標として掲げられている。

駅から自宅までのラストワンマイルをカバーする手段としては、先週タクシー会社カルワとの「割引料金」などの協業も発表された。

 

Doha Metro to offer cheap rides, starting at only QR2! (from “I love Qatar”)

捜し物

来週の今頃は、また日常に身を置いているはずだ。

昨日はドーハの職場に連絡を入れた。予定よりも延びてしまった休暇の調整を頼むのが目的だったが、久しぶりに聞く同僚や上司の声に、気持ちが一気に持っていかれる。

日本にいても、タイにいても、いつもカタールのことばかり考えてしまう。

写真を撮る身としては、あの国には絶望にも似た気持ちしか持てないままだというのに、私はまだあの国に隠された宝石を見つけていないような気がして、それが何なのかを知りたくて、だから諦めきれずにファインダーを覗いているのかもしれない。

施し

タイ深南部の村では、家族の誰かが援助を必要とする事態に出くわすと、隣近所や親類を家に招く。招かれた先では簡素な食事が提供され、参加者は幾ばくかの寄付をする。額は大体200バーツが相場だ。

今日もそんな食事会に誘われたとかで妻と義妹、義父母を乗せて出かけることになった。

今日の招集理由は「息子が交通事故に遭い、手術や入院の費用が要る」というものだった。

会場に入ると男女別に分かれて座る。義父が隣にいるので心強いものの、マレー語がからっきしなので、いつもこういう席では落ち着かない。

今日は幸いサウジ出稼ぎ経験のある年配者が複数いて声を掛けてくれた。やはりアラビア語で話している方が楽だ。

白い髭を蓄えた恰幅の良いおじさんは、タバコに火とつけスパスパと吸いながらサウジにいた頃の話をしたり、私がカタールでどう暮らしているのかを尋ねたり。アラビア語話者には宗教系学問を修めるためにアラブ諸国に渡った人が大半だが、たまにこういうチョイ悪オヤジもいて、何故か気に入られたりするのが毎度のパターン。

食事はカノムチーンという「素麺のような米粉麺に魚のすり身カレーを掛けて」食べる料理。

一杯だけ頂き、帰り際に家の主人か奥さんに寄付を手渡してその場を後にする。

施す方にプレッシャーを与えず、施しを請う側も惨めな思いをせずに済む。村人たちの知恵の一つだ。

休息

 

台風のせいで思った以上に長居をしてしまった。

来週の今頃はパタニの村でのんびりと田舎暮らしに身を置いているはずだ。

自分にとって、日本もカタールもタイも「戻る」場所。数年後のことは判らないが、今はまだどこか一つを居場所として選ぶことは出来ない。家を建てたタイの片田舎を終の棲家と決めてはいるが、それとて確かな未来ではないだろう。

約一ヶ月の日本滞在。その殆どを実家で過ごした。

日本を飛び出す前まで住んでいた借家は、大家の不条理な行為によって立ち退きに。

両親は隣町へと引っ越し、そこへ毎年足を運ぶようになって10年が経つが、1年を通じて四季を感じながら暮らしたわけでもないその家に、私は実家という感触を持てないままでいる。

とはいえ母の顔を見ればホッとする。同時に側にいてやれない親不孝な自分を呪う。

滞在中に親しい人が何人かこの世を去った。別れのもたらす突き放すような感覚には慣れていたつもりだったが、もう二度と会えなくなったという事実が、自分が思う以上に心を押し潰そうとしている。

この景色を目にするのはこれが最後かもしれない。そう思いながら、私は明日また飛び立つ。

いつものことだ。

 

日本を飛び出して20年目を迎える前に、今いる場所へと至る遠い過去の記憶を掘り起こす機会を得た。

若かった。後先考えない自分がいた。

それでも、何ひとつたりとも後悔することは、記憶をたどる中で見つけることはできなかった。

 

あぁ…。また長くて短い1日を積み重ねていこう。

もう会えなくなってしまった人へ

 

あなたには聞きたいことがたくさんあった。話したいことがたくさんあった。

きっとこれからも聞いて欲しい出来事はたくさん起こるだろう。

でも、目を細めて笑いながら話を聞いてくれるあなたはもういない。

同じ国に縁を持ち、その国に生まれ育った人を伴侶とし、長い年月をそこで過ごしたあなたは、私にとってこれからもずっと憧れの人。

あの国を見下ろす窓から、私はあなたのことを思い出すだろう。

トランジットの人混みの中に、私はあなたの姿を探してしまうだろう。

あなたの落胆した顔を見たくないから、この先も私は全身全霊でファインダーを覗こう。あなたがそうしてきたように。

 

短い間だったけれど、あなたと知り合えたことは私の人生にとって代え難い大切なこと。

 

ありがとう。

そして、さようなら。

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