長老の資格

ドーハへ渡ってきた最初の年のラマダーン。

当時はまだ独身だった私は、出稼ぎ外国人だらけの配属先に今ひとつ馴染むこともできないまま、朝晩とイベントに駆り出されるという忙しさの中に埋没することで、どこか寂しい気持ちを誤魔化していた。

その年の暮れには監督責任者と仕事のやり方をめぐって半ば喧嘩腰になり、上層部に直訴した結果、本省に戻ることとなる。

新しい部署でも外国人に囲まれての業務に変わりはなかったが、ほぼ定時通りの勤務時間となり、午後からは家にいることが多くなった。やがてラマダーンに入り、一人で家でイフタールを食べるのも侘しいと思っていたところへ、留学時代から世話になっている部族の若い衆から電話が鳴った。

誘われるまま、部族が集まって暮らすエリアへと日暮れ間近に車を走らせる。

エリアの中心に建つこじんまりとした古いモスクで、その場に居たイマームや出稼ぎたちと一緒に、日没後のナツメヤシを口にした。

その後マグリブの礼拝が始まり、そして終了したものの、周囲に顔見知りはおらずどうしたものかと立ち往生していると、最前列で椅子に座って礼拝していた老人から声を掛けられていた息子と思しき人物が、こちらへやってきて、「日本人のタケシだね?親父がイフタールを食べに来るようにと」

老人は部族の最長老だった。恐らくUAEにいる親族から私の話を聞いていたのだろう。

それからは毎日長老のマジリスでイフタールを食べることになった。

せっかちな性格の私は、日没の30分前にはマジリスに到着してしまい、いつも長老と二人きりで彼の息子や甥たちがやってくるのを待っていた。長老の話す湾岸訛りはキツすぎて私には何を言っているのか殆ど解らなかった。ただただ、元気にやっとるのか?UAEのあいつには連絡しとるのか?と、そんな他愛もない会話をポツポツとするだけだった。

ある時、イフタールの最中に長老が「タケシ、お前は結婚する気はないのか?」と尋ねてきた。

する気はあるけれど、なかなかいい人が見つからないので…とお茶を濁すと、

「そうか…で、嫁さんは二人欲しいか?」

冗談なのか、本気なのか、眼光鋭い長老の表情からはうかがい知れず、さりとて何と答えて良いのやら迷った挙句に、苦笑いでごまかしながら「一人で十分です」と言うと、長老は隣に居たやはり年配の親族に何か言いながら大声を上げて笑った。

初めて見る長老の笑い顔だった。

食事も終わり、紅茶も飲み干して、そろそろイシャーの礼拝の時間が近づく頃、いつものように「また明日」と言いながら席を立った。

モスクの脇に停めた車まで庭を横切ろうとしていると、長老の息子が駆け寄ってきて手に500リヤル札を握らされた。突然のことに驚いていると「これは親父から」だと。

私はお礼を貰うようなことは何もしてないよ?

「いいんだ。親父、今日はお前と話せて気分が良かったんだろ。黙って受け取っとけよ」

祖父が孫にお小遣いをあげるようなものなのか。そう思って、ありがたく受け取った。

それから数年後のラマダーン、いつものようにイフタールを食べるつもりで出掛けると、マジリスの扉が閉められたまま。

聞けば、体調を崩した長老は手術のために欧州へ向かったという。

その翌年の3月。

長老の埋葬に列席するために集まってきた人達の数は、それまで私が見た儀式のどれよりも多かった。

常に凛として威厳を失わず、部族の垣根を超えて誰からも尊敬されていた。

自分が歳をとった時に彼のようになれるかどうかなど、口にすることさえ憚られる。それほどに長老としての資格を十二分に満たす人だった。

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