床屋の話

髭は男の嗜み。

この国では、男性はほぼ数日おきに床屋へ足を運んでは髭の手入れに余念がない。

私もできれば週に二度は行きたいところだが、色々と事情があって週に一度だけ、郊外の商業コンプレックス内にある床屋へ顔を出す。

ドーハに来たばかりの頃、職場の借り上げで住んでいたアパートの近くに小さな床屋があった。インド人が一人で切り盛りする、座席が二つしかないこじんまりとした店だった。再開発の波に飲まれるエリアの中にあったその床屋だが、取り壊しを免れて今でも同じ場所で営業している。

その店で店主の弟と知り合った。彼もまた床屋としてドーハに暮らしていた。

今日を無事に暮らせれば満足だといったふうな兄と違い、弟はビジネスに興味津々でいつも目を輝かせていた。

数年前、取り壊しの憂き目には合わなかったものの、大家が店の登録更新を渋ったことで床屋が潰れるかもしれないという事態に陥った。それでも彼は店の裏にある今にも崩れそうなボロい住まいの庭先に椅子と鏡をしつらえて、半ば潜りのような格好で床屋家業を続けていた。今更故郷へ戻っても仕事もない。生きていく為にはそうするしかなかった。

そこにも何度か足を運んだ。その頃には私は市内を少し離れたところにアパートを借りて暮らし始めていた。近所にも何軒か床屋があり、試しに店に入ったみたものの、どこも今ひとつしっくり来ず、結局週末になると車を走らせて件のインド人のところへ。

その潜りの床屋もしばらくして閉鎖された。

その後、しばらくは電動式のバリカンを買って自分で処理していた。

1年ほど経った頃だろうか、弟からふいに電話がかかってきて、郊外に出来たばかりの商業コンプレックスに新しい床屋を開いたと聞かされた。

それから再び彼らとの付き合いが始まった。兄の店はその後何とか新しいスポンサーが見つかり、営業を再開しているらしいことも知った。

この間に彼らから何度かお金を無心された。必ず返すからという言葉には嘘はなくとも、それが起こりえないことも知っていた。そして、返ってこないことを承知でそれなりにまとまった額を手渡した。

予想通りその後彼らからお金を返すといった話が出てくることはなかったが、私が店へ行くと弟は代金を受け取らなくなった。それは今でもそのままだ。おまけに頼んでもいないのにお茶やジュースが出てくる。それが彼らなりの恩返し、といったら大仰だが、そういう付き合い方もあるのだと自分を納得させている。

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