本当の孤独

ナニーの訓練を受けていたタイ人女子たちが研修を終え、カタール人家庭で働き始めた。

その内の一人が金曜日に休みを貰えたとかで、妻が彼女を食事に招待したいと。もちろん二つ返事でOK。

レストランを何処にするかで妻は悩んでいたが、ここはやはりタイ料理で決まりだろう。寮では毎日アラブ料理のテイクアウト。たまに寮長に許可を取って自分たちで調理していたらしいが、スパイスも揃っていない台所では限界がある。

金曜礼拝を終えてから、モールで待っている彼女を拾ってレストランへ。

久しぶりであろう本格的なタイ料理の味。毎日自分で調理している妻にとっては、料理の評価は今ひとつだったようだが、彼女には良い息抜きになっただろうか。

メイドとは違いナニーの仕事はそれほどキツくはないと言うが、それでも祖国に居る時のような自由さはないし、何より気さくな話のできる相手が身近にいない寂しさに耐えなければならない。

食事の後で、国へ仕送りをしたいという彼女を両替商まで連れて行く。ほんの少しだけ自分のお小遣いにして、残りを全て故郷で待つ親の元へ。

遠くても、寂しくても、働いて稼ぎが得られることを選ぶしかない人達。

最近ネットで「海外就職は孤独との戦い」などというコメントを見かけた。自らが選んだ道で孤独などとどの口が言うのか。

再利用

オーブンがまた壊れた。

電源を入れるとブレーカーが即落ちる。どうやら内部でショートしているっぽい。

単純な構造なので修理は簡単だろう。しかし、持ち込むのに手間がかかるし修理待ちになる。それに恐らく新品を買うくらいの費用がかかる。

考えあぐねて、結局新しいものを買うことに。夕方出かけたハイパーマーケットでタイミングよく在庫の値下げ品が出ていたので、それに決めた。

家に持ち帰って、古いものと入れ替え。ここで古いオーブンをどうするかというと、そのままアパートの前のゴミ箱の脇に置くだけ。

以前住んでいたアパートで使っていた古いオーブンも残っていたので、それをついでに出しに行ったら、最初に出したオーブンは既に姿がなくなっていた。たった5分ほどの間に。

通りがかりの誰かが持っていったのだ。ここではゴミの分別や、生活ゴミと粗大ゴミの区別はない。回収用の大きなゴミ箱の側に出しておくと、普段からそういった廃品を探し歩く出稼ぎ労働者たちが勝手に持って行ってくれる。ゴミに出すくらいなので壊れていることは承知の上。彼らは家電などを安く修理してくれる店を知っているから、そこへ持ち込んで直して使ったり、中古マーケットに持ち込んだりするらしい。

生活の知恵なんて洒落たものではないが、なんとなくそうやって上手く社会は回っている。

辿り着く先

先般ネットで公開された記事に対する反応は、自分が想像しているよりも広がっていた。

「海外で独り頑張る日本人」

多くの人がそういうイメージを重ねてきたことも軽くショックだった。

海外で暮らす日本人を紹介するテレビ番組が日本で受ける理由が分かったような気がする。

残念ながら、私は皆さんが思うような苦労も努力もしてこなかった。カタールに渡ってきたことも、ベドウィンと知り合ったことも、狙って得たものではないのだ。いや、そもそも狙うどころか考えたことさえなかった。結果として自分が望んだことへと全ては繋がっているが、それはあくまでも結果であって、そうなるように何かをしてきたわけではない。

まして、キャリアなどと呼べるような大それた話でもなく、ただただ目の前の流れに身を任せていたら、こんなところにまで辿り着いたというのが本音。一言で言うなら「偶然」とか「幸運」だろうか。

人は誰しも、自分ならぬ誰か、あるいは今ならぬいつかの自分に思いを馳せ、そうであれば良いのにと願うもの。

しかし、自分の道は自分にしか見えないし、自分の足でしか歩いて行くことはできない。他人の道をなぞっても、同じ場所へたどり着けるわけではない。富豪の生活を一寸違わず真似たとしても富豪になれないのと同じ。

共同体の一員となる意味

月曜日の夜は友達の家のマジリスに集まるのが恒例。

通常マジリスにはその家の主人をホストに、兄弟や息子たち、従兄弟や再従兄弟といった親族が集まる。

時折、メンバーの知人として外国人が招かれることはあるが数は少なく、同じカタール人であっても息子たちが学校の友だちなどを連れてくることはまずない。本当に身内だけの集まりなのだ。

マジリスに入ってきた人は、まず中央に座る主人と、そして反時計回りに挨拶をしていく。

子供たちも精一杯の大人顔をしながらの挨拶。しかし、明らかに外国人だと判る客に対しては、やや距離を置いたような雰囲気で握手の手を差し出すだけ。

そんな彼らは、私には当たり前のような顔で鼻ちょんをしてくる。私が日本人であることを彼らは知っている。それでもベドウィン式に挨拶をしてくるのには、「父あるいは兄の大事な友だち」という認識だけではない何かを感じ、嬉しいと同時にこそばゆい気持ちになる。

初対面の大人からもベドウィン式に挨拶をされることもあるし、部族の年長者に私が最敬礼の意味で額に口づけをしても笑う者は誰もいない。

 

そうすることが当たり前。

 

部族の中に居場所を与えられたことへの光栄と、外国人だからという言い訳が一切許されないという緊張がそこにある。

この国との関わりの中で

 

今月に入ってからザワザワとしたニュースが駆け巡った。

そんな今に自分がこの国に居る、そこに意味を探したくて、あれこれともっともらしいことを書きなぐった。

騒動が少しずつ収束し、誰もが自らの当事者性の薄さに気がつき始めた頃、私もまたそんな行為にどこか虚しさを感じ始めている。

かつて、誰かかしら「今いる場所について」何かを尋ねられる度に、自分はこの国に、ここにいる人々に、研究対象としての目線を投げかけたくないのだと苛立った。ただただ、彼らと暮らしていくことに安堵を持ち続けられれば、それで良かった。

この国が日本でも少し名前を知られるようになって、だからかも知れないが、何かをそれらしく語らなければ、これまでの年月が無駄になるような強迫観念に囚われていた。

そんな思いの中で、今年二つの記事が日本のメディアに掲載された。

私の海外サバイバル

『アラブ世界と福嶋タケシ』後編:砂と太陽の異世界にあこがれて

 

これまでの話と、今の話。

自分自身が経験してきたことをただただ語る。それこそが自分に出来ることなのだと思い返すきっかけとなった。

肩肘を貼ることはない。目の前に広がる、自分だからこそ見ることとのできる光景を記録していけばいいのだ。

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