生きるための選択

 

約1年間のナニーの訓練を受けて各家庭へと派遣されたタイ人女子達。

そのうちの3名がどうしても仕事を続けられないと訴え、帰国を希望しているという。

受け入れ側からは「契約違反」だとして、出国したいのなら50万円以上に上る「違約金」を支払えと言われているらしい。

先日はタイ側の派遣責任者が話し合いに来たが、彼女達に対して「我々に恥をかかせるつもりか。何故我慢できないのか」とキツイ言葉を投げたらしい。

彼らの言いたいことは分かる。今後も毎年人を送り出さねばならないのだ。継続拒否は自分たちの実績と相手からの信頼を損ねる行為と映る。元より彼女達は公募に応える形で、自らの意思でここへ来たのだ。無理やり連れてこられたわけではない。

一方で来る前に詳細な説明も情報もほとんどないまま来て、この国と国民の実態を目の当たりにして、彼女達はショックを受けている。生まれ育った村や地域から外へ出たことすらないであろう20歳過ぎの若者に、何もかもが違うアラブの国で耐えて暮らせというのは、あまりにも厳しい選択。

しかし、社会人として捉えるのなら、彼女達の行動は容認されるものではない。現実に生きていくとはそういうこと。

彼女達は故郷にいる両親などが工面したお金が届くのを待っている。それまでは訓練施設の外へ出ることも一切許されない。

「人権派」の日本人がそれを見れば批難の声を上げるだろう。だが、祖国ならぬ他国で働いて暮らすというのはこういうことだ。他国の人間を労働力として受け入れる過程において、このような痛みも避けては通れない。

 

そんな境遇でも頑張っている女子はいる。そのうちの一人を連れて妻と3人で、週末の金曜日に郊外のお洒落スポットにあるオープンカフェでお茶をした。幸いにも彼女は派遣先の家庭には恵まれているようで、仕事の不満はないし、こうやって週に一度は外出して好きなところへ行く自由もある。

 

結局ここでも運不運が付き纏う。経験や知識だけでは超えられない何かを諦め、時にはそれに抗いながら、生きて行くしかないのだ。

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