何者であるか

投稿者: | 04/01/2019

金曜日のマジリスで時折顔を合わせるイラン系ブルチスタン人。

私のカタール人友達の経営する店で彼は働いている。客の一人として食事に招待されたというよりは、週末の休みの時間にまで仕事で呼び出され、ついでに飯でも食べていけという感じだ。

その彼が今日は初顔を連れてきた。息子のようだ。聞けば、まだ16歳。

出稼ぎが雇い主のローカルに息子の仕事の斡旋を頼みに来るのはよくある話。そして、他の例に漏れず彼も父親の手伝いをしながら、やがて同じ道を進む。

おおよそドーハで生まれ育った外国人の子どもたちは、言葉と感覚をカタール人に似通わせながらも、その国籍故の限界を常に味わいながら暮らしていかなくてはならない。

今日の彼は服装も祖国のそれであり、自分のアイデンティティを見極めているように見えたが、中にはローカルに染まりすぎて、祖国へ行っても違和感しか抱けず、さりとて死ぬまでこの国に居られる保証など全くなく、自身が何者であるのかに悩み続ける者もいる。

人は誰しも「カテゴライズ」からは逃れられないし、生まれ持った「カテゴリー」から出ることは容易ではない。そのことを自覚し、受け入れていくしかないのだ。