しきたりと同化と、思い込み

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友達の経営する鷹ショップのブルチスタン人店主が、先日もマジリスに顔を出していました。

そんな彼は「本当はあんなところで食事なんてしたくないんだけどね」と言います。

賓客が先だとか、年下は後だとか、そういう序列に嫌悪感があるのだと。
皆で楽しく一緒に食べればいいじゃないか、と。

彼の言いたいことも解ります。まして外国人として長年ここに住んでいれば、ローカルとそれ以外という明確な区別に誰しもが晒され、そのことにウンザリしている人は多いでしょう。

この食事の順番はベドウィンのしきたりの一つ。
いくら大皿と言えども一度に座ることのできる人数には限りがあるので、大事な客と年長者がまず手をつけます。そこから年功序列で空いた場所へ座り食べる。一方で、その家で働く使用人は当然ながら、客を乗せてきた運転手なども、最後になるまでは手を付けることは許されません。

食事の際に真っ先に呼ばれることを、共同体に受け入れられたと勘違いしている外国人が極たまにいます。実際のところ、それは単に客だから大事にされているだけ。どちらも一見すると同じことだと思いがち。でも実際のところは全く違います。

ホストと客という関係は、その二人の間でしか通用しません。共同体全体から見れば、あるいは共同体の外から来た人間にしてみれば、「見かけない外国人」であり、序列の中にすらいない存在なのです。

共同体の「中」へ入るということは、「余所者」だからと許されていたことが、そうではなくなるということ。挨拶一つきちんと出来て当たり前。どんな粗相も見過ごしてはもらえない。年下というだけで順番が後回しにされることも納得して受け入れなくてはならないのです。

それが嫌なら「お客さん」として丁寧に扱われる代わりに、「余所者」として共同体の内側へ足を踏み入れることなど出来ない立場に満足するしかないのです。