しきたりと同化と、思い込み

投稿者: | 11/03/2019

友達の経営する鷹ショップのブルチスタン人店主が、先日もマジリスに顔を出していた。

そんな彼は「本当はあんなところで食事なんてしたくないんだけどね」と言う。

賓客が先だとか、年下は後だとか、そういう序列に嫌悪感があるのだと言う。
皆で楽しく一緒に食べればいいじゃないか、と。

彼の言いたいことも解る。まして外国人として長年ここに住んでいれば、ローカルとそれ以外という明確な区別に誰しもが晒され、そのことにウンザリしている。

この食事の順番はベドウィンのしきたりの一つ。
大事な客と年長者が一番先で、そこから年功序列になる。一方で、その家で働く使用人は当然ながら、客を乗せてきた運転手なども、最後まで手を付けることは許されない。

食事の際に真っ先に呼ばれることを、共同体に受け入れられたと勘違いしている外国人が極たまにいる。それは単に客だから大事にされているだけ。
どちらも一見すると同じことだと思いがち。でも実際のところは全く違う。

ホストと客という関係は、その二人の間でしか通用しない。共同体全体から見れば、あるいは共同体の外から来た人間にしてみれば、「見かけない外国人」であり、序列の中にすらいない存在だ。

共同体の「中」へ入るということは、「余所者」だからと許されていたことが、そうではなくなるということ。年下というだけで順番が後回しにされることも納得して受け入れなくてはならない。

それが嫌なら「お客さん」として丁寧に扱われる代わりに、「余所者」として共同体の内側へ足を踏み入れることを許されない立場に満足するしかない。

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