若者を覆う「希望の格差」への懸念――社会学者が語る平成の若者 - Yahoo!ニュース
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努力しても必ず報われるとは限らない。世の中はそもそもがそういうもの。まして現代社会には無数の人が溢れていて、報われる者との乖離は果てしなく絶望的だ。
不公平な世界を是正するための民主主義は、資本主義によって全てをひっくり返されてしまった。社会主義は、大勢の人に平等をもたらしたが、同時に一握りの支配者という不公平を生んだ。

折しも日本では元号が平成から令和へと替わった。それだけで「何かが変わる」かのような錯覚を、結構な数の人が抱いていることの不思議。そこにあるのは「バブルが弾けた平成初頭から二十数年、あらゆる停滞に耐えてきたのだから、これから好転が待っているに違いない」という妄想だ。
新しい元号によって恩恵を受ける業界がないとは言わないが、皆が同じように良い気分になれるわけではないだろう。頑張っても報われない、あるいは頑張らなくても恵まれる、そういう個々によって構成された社会というものは、平成のこれまでも、令和のこれからも、ずっと続いていく。そこに「不公平」という言葉を当てはめてみても何ら解決をもたらしはしない。

日本という稀有な国の存在感はこれからも在り続けるだろう。しかし、国家としての立場はこのままだらだらと下がり続けていく。勃興するアジア諸国と今や最新テクノロジーを生み出す場としての中国に置き去りにされながら。
未だ30代という若い指導者に率いられる国に暮らしていると、祖国の老衰振りには悲しささえ覚える。無論、国家としての規模が違う故の動きの軽さ重さの差はあるにせよ、やれば良いことさえ議論という無駄な時間に貪り食わせてしまう日本の現状に対しては苛立つことばかりだ。

日本は今後ますます「報われない」人を増やしていく。せめて「報われた」人がそこへ手を差し伸べることができたなら、少しは希望も生まれるのかもしれないが、得てして彼らは、報われたのは「自分たちの努力」のおかげだと信じて疑わない。貧しいやつらは努力しなかったから、そうなったのだと言い放つ。
そんな彼らがもしスラムに生まれ落ちたとしたら、努力さえすれば報われると心から信じて生きていくことは、果たしてできるのか。
人は例外なく、生まれ落ちたことの運命に抗い、同時に従うことしか出来ない現実と折り合いをつけ、身の丈にあった暮らしを受け入れて生きていく。
特別な自分など、この世界のどこにも存在しないのだという事実を、納得して受け入れた瞬間から、きっと心穏やかな毎日は始まるだろう。

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