今週は6日間、出稼ぎ労働者たちと共にイフタール(断食明けの食事)を取ることになった。

 イフタール・テントと呼ばれるチャリティーイベントの一環で、カタール人の富豪などが個人的に寄付した資金を、うちの職場が管理運営する形で設置されたものだ。
 この手のイベントの撮影は久しぶり。実に十数年振りのことになるが、前回のことは今でも記憶に鮮明に残っている。

 出稼ぎ労働者が多く集まる工業地帯の一角にあるモスクに隣接された大きな広場。年に二度のイードと呼ばれる機会に集団礼拝をするためだけに存在するその場所で、長いじゅうたんを何本もストライプに広げ、そこにおのおのが座って日没の時間を待つという、イスラーム世界ではよく目にする光景を初めて見たのもこの時だった。

 ところがそこで人間の醜い面を目の当たりにすることになる。
 食料を運んできたトラックが到着した途端に、周辺にいた出稼ぎ労働者たちが一斉に集まってきた。荷台を開けると同時に伸びてくる手、手、手。まるで難民キャンプのような状態に唖然としている横で、更に車で乗り付けて弁当を何個も奪い取るようにして抱えると、再び車でどこかへ消えていったエジプト人たち。

 翌日から方針が変更になり、イフタール前の1時間、モスクで行われるレクチャーに参加してクーポンを貰ったものだけに限定し、食事も広場に並べてその場で食べる形に。

 昨日の現場では、レクチャーなどはなかったものの、巨大なテントに集まってきたのはやはり周辺の店で働いている店員や住民たち。中には示し合わせて来たのかイエメン人のグループの姿が。奥へ詰めて座るようにというスタッフの指示を無視して入り口近くの隅に陣取る様子は、なにかやましいことでもあるのかと勘ぐりたくなる。実際、さして困窮しているわけでもないのに、節約のためにとあちこちのイフタールテントを訪ね歩く猛者もいると聞く。

 食事はサフランで色づけたバスマティライスの上にチキングリルが乗っただけの簡素なもの。それだって、食べられるだけ有難い。全員が食事を終えてテントを出て行く際に、参加者の一人が残っていた大皿の料理を、部屋にいる友達に持って帰りたいと言う。嘘か本当かは分からない。今夜のメシ代を浮かせるための方便かもしれない。と疑うようになってしまった自分が少し寂しい。
 残しても処分に困るので、大きなプラスチック袋に移し替え、他の参加者が皆出て行った後でそっと手渡した。

 普段から何かと物乞いに絡まれやすい自分。先日もハイパーマーケットの店内でベールを着用した女性(恐らくアラブ系、でもローカルではない)が近寄ってきたので追っ払ったばかり(公共の場での物乞い行為は通報されると逮捕、3ヶ月以下の懲役)。ましてラマダーン月になると殊更「持つ者と持たざる者」との間にある何かに立ちすくむ。
 持たざる者、外国人労働者たちから見れば私は持つ者そのものだ。しかし同じように外国人という立場で働く自分に出来る事は限られている。求める者全てに何かしてやれるのなら、それに越したことはないが、今の自分が救える人の数などたかが知れている。

 恵まれない境遇にいる人間を見て「可哀想に」と言うだけなら簡単だ。だが、そんな上っ面の共感など彼らには何の役にも立たないし、彼もそんなものは欲してもいない。持つ者としての自分を自覚し、その時々の自分が持たざる者たちに対して何ができるのか、常に心に留めていたい。

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