信仰の内と外

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 もうじき正午という頃合いにスマホが鳴りました。

 掛けてきたのは10年ほど前に勤めていた部署の同僚。あそこはうちの所属で、イスラームに関する広報活動、ありていに言ってしまうと「宣教」を主な業務としている機関。

 私のところへ電話を掛けてくる目的は唯一つしかありません。それは日本人の訪問者と話をしてほしい時。「改宗したいと言っているようだ」という毎度おなじみの取次の言葉は、99%間違っていて、実際には「興味があったから」とか「たまたま面白い建物が目に入ったから」というのが理由だったりするわけですが。

 今日のケースも全くそれで、カタール人の知人を訪ねて短期滞在中だというその日本人は、以前からイスラームには関心があったものの、知識として以上の興味はなく、まして改宗するつもりなどないと告げました。将来、もっと多くの国の人と繋がりたい、その時に宗教が足かせのようになってしまうことは避けたい、とも。

 彼の言いたいことは、日本人であり中途改宗者である自分には良く解ること。でも、地球上に数ある宗教の一つとしてのイスラームという捉え方は、ムスリムからは1ミリたりとも共感を得られることはありません。彼らにとってイスラームこそが唯一の「宗教」なのです。同時に、他の宗教を信仰する人たちも、その考え方には大きな差はないと言えるでしょう。

 それ故に、少なくない日本人が「どの宗教にも属さない」という立場を、平和的アプローチという意味合いにおいての「中立」の拠り所にしようとしますが、それは「どの宗教にも与しないのなら、どの宗教からも尊重されるはず」だという思い違いでしかありません。「無宗教」は「信仰を持つ者」とは対極にいるのです。すなわち全ての宗教を包括する輪の外ということ。どんな国や民族に属する人であっても同じ「地球に住む人間」という共通項で繋がることができますが、宇宙から来た異星人との間にはそんな感情はすぐには芽生えない。ムスリムだけでなく、信仰を持つ人達にとって、無宗教者とは異星人に他ならないのです。

 件の日本人は「知人に嫌な思いをさせることなく、改宗を断ることは出来ないだろうか」と困惑している様子。残念ながらそんな都合の良い解決策はないのが現実。率直に「イスラームに入るつもりなどない」「特定の宗教を選ぶつもりもない」と断言するしかありません。「そのうちに」と言葉を濁せば、いつまでも「そのうち」が追いかけてくるでしょう。キッパリと断ることで、相手が諦め、それでも今までどおりの付き合いをしてくれるのなら、それが一番良い結果なのですが、そうでないのなら相手との関係はそこまでと思うしかありません。つまり相手はムスリムでない貴方には興味半分ということなのだから。

 あるいは他の宗教に属しているとか、嘘も方便と割り切る。とはいえ、相手に対して嘘をついているという事実にいつまで耐えられるかという問題が別に発生するのですけれど。

 ただ興味を口にしただけなのに、改宗を迫れて困惑するというケースは、彼に限った話ではなく、これまでにも何度となく耳にしてきました。その殆どは、突然宗教の話をされて、怖くなった日本人が離れていくという結末に至っています。

 宗教を「文化の一部」と見るか、「信仰」という本質から眺めるかの違いと言うと簡単ですが、ムスリムにとって前者のような考え方は理解し難い部類のもの。以前、ある知人が「”Islamic Culture”はあっても、”Cultural Islam”というものはあり得ない」と言っていたのを思い出しました。

福嶋タケシ