写真が意味消失する日

投稿者: | 20/06/2019

香港デモ象徴する写真、加工されていた (47NEWS)

 未だ続く香港での民衆による大規模なデモ。それを象徴する1枚としてSNSで拡散されたある画像が、加工されたものだったらしい。

 この投稿の直前に加工前と思しき画像が投稿されている。話題になった画像は、この元画像を左半分だけ残して右側へ反転コピーなどを行い左右対称に見えるようにしたもののようだ。
 加工画像のコメント欄には作者が「加工および切り抜きをしている」ことを初めから明言しているので、「実は〜」などと驚く事自体がおかしな話なのだが、コメントを読まずに骨髄反射的に拡散させてしまった人たちの中には「騙された」と思っている人もいる様子。

 このことを持ち出すまでもなく、もはや写真が「真実」を証明することにはならないというのは明白な事実だ。証拠写真という言葉さえ、数年の内に消えてしまうのではないだろうか。そして、写真そのものの存在意義がみるみるうちに薄れ、やがて意味消失してしまうのかもしれない。少なくとも「報道」といった分野においては、そうだろう。

 一方で、現実離れした高い彩度やコントラストで「見栄え」を強調した写真が巷で持て囃されている。厳密に言うなら「日本では」だ。アジアではそんなブームなどとっくに去っている。
 イメージを第一にレタッチを行うことを否定はしない。しかし、そこには「伝えたい何か」など存在しておらず、あるのは「キレイな写真と言われたい」という撮り手の承認欲求だけ。「わぁ、キレイですね!」「かっこいい写真ですね!」という定型的な褒めコメントに一体何の意味があるのだろうか。

 そうやって写真は「皆から注目されたい、気持よくなりたい」という欲求を満たすためのアクセサリーとして消費されていく。
 画像を左右対称にしたところで、デモの本質など見る側には伝わらない。ただただ「人がいっぱいいる」キレイな写真、で終わってしまう。デモに「美しい様相」を加えたところで、参加者の命がけの思いを昇華させることには繋がらないのだ。加工したことの善悪以前に、デモを素材にして「見栄えの良い写真」を作ろうとした事自体に嫌悪感しか持ち得ない。