外の世界で

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 28歳の時に留学を決めて日本を離れ、あっという間に20年が過ぎました。

 今思えば、留学するにはギリギリの年齢でした。ましてや勤め始めてまだ3年ほどの仕事を辞めての決断。機械油のむせるような匂いに囲まれた町工場での仕事にはさほど不満はなく、週末はあちこちに遊びに忙しい生活。このまま30歳を過ぎてもここで働き続ける自分というものを、ぼんやりを想像する日々に区切りをつけたのです。

 他人はそれを「背水の陣」と見るかもしれませんが、正直なところ当時の自分は、憧れ続けたアラブへの切符を手にしたことに浮かれていて、将来のことなど何一つ考えていませんでした。

 そして、あの留学が学生としての結果を求められるものだったとしたら、きっと今頃ここにはいなかったことでしょう。恐らくは、とぼとぼと日本へ引き返し、薄れていくアラビア語の知識と、それに反比例するように膨れ上がるアラブへの未練とを抱えたまま、「こんなはずじゃなかった」と暗澹たる思いを引きずり暮らしていたことと思います。

 授業についていけるような才能なんて元からなかったのです。聴講生という自由な立場と、その立場を最大限に生かして授業をサボり砂漠三昧の日々が、今の自分を形作ったと言ってもいい。何より予想さえしていなかったベドウィンたちとの出会いが全てを変えてしまいました。運が良かったのです。本当にただそれだけ。

 だからといって、これから留学してくる人達にはとても勧められる方法ではありません。どの国であろうと留学する人は、ちゃんと勉強に勤しんで欲しい。それが自身の望む結果への近道です。

 一つラッキーだったことは、30歳近かった年齢。

 ローカルの中へ入っていく時、子供でもなく、かといって社会集団に受け入れられ難い年配者でもなく、子供たちからは年上として敬われ、年配者たちからは子供のように可愛がられる、ちょうどいい立ち位置でした。それでなくとも見た目が子供っぽく見られてしまう東洋人。もし若過ぎれば大人の世界に立ち入ることは許されなかったことでしょう。逆に歳を取っていれば、既に形成された集団の中で、余所者が同等の立場を手に入れることは相当に難しくなってしまいます。

 いずれであっても「お客さん」という扱われ方に満足するのであれば、何も問題はありません。毎回「ようこそ」と出迎えられて、それなりの位置に座をもらい、ただ出されるガホワを飲み、食事を取って帰るだけ。しかしホスト以外の親族から声がかかることは殆どなく、更には集団にとっての賓客が外から訪ねてきても、相手にされないどころか放置状態で、紹介さえしてもらえません。まるで空気のようにその場に座っているだけの存在、つまりは蚊帳の外に置かれるということです。

 20年なんてまだまだヒヨッコ。

 日本人からは「すごいですね」と言われるけれど、インド人たちが聞いたら鼻で笑うレベル。彼らの中には30年以上に渡ってローカルの家に仕え、数年に一度しか国へ帰っていない者などザラにいるのです。毎日が戦争みたいなもので、生き残るため、家族を養うため、皆必死で暮らしています。

 夢のためとか、生きる意味を探したいなどと言ってる奴はここには誰一人としていません。手を止めたら、働くことをやめたら、自分だけではなく、大切な家族が路頭に迷う、そんなギリギリのところを生きている人たちばかり。

 日本では先行きに不安を感じた人たちの間で、海外就職を選択肢に入れるケースが増えていると聞きます。行き当たりばったりでやってきた自分が言うのはおかしな話ですが、言葉が通じ意思疎通に苦労もない、そんな祖国で何か一つでも形にすることをまず考えて欲しい。それが出来ずに外の世界へやってきたところで、大抵の場合は何も成せず出戻るだけです。ホームで出来なかったことがアウェイで出来るようになるわけがないのですから。

福嶋タケシ