平凡な生き方

最終更新日

 出稼ぎ先のマレーシアで職を失い村へ戻ってきた義父母のために、ちょうど村内で売りに出ていたゴム園を買い取ったのが5年ほど前のこと。国境付近の農園には当時大勢のマレー系タイ人が働いていました。国境もパスポートではなくIDカードだけで越えることができていたのですが、タイ深南部でのテロの増加が問題となり、やがて自由な出入りが制限されてしまいました。

 農園は、その義父母が面倒を見る予定でした。ところがちょうど同じ頃に義妹夫婦が新しい養鶏場を探しているという話が。ハジャイに程近い夫の村で営んでいた養鶏場は、その年の豪雨で水没した挙句に、何者かに侵入されて機材一切合財を盗られてしまいます。村の人間関係にも疲労していた夫は妻である義妹の村へ引っ越すことを考え始めているようでした。

 しかし、一から土地を買うとなるとお金もかかり、養鶏場を建てるどころの話ではありません。そこで妻が「あの農園、半分だけ彼らにあげようよ」と提案。ゴムの木を切って、土地をならして養鶏場第一号棟を建てることとなりました。

 1年ほどが過ぎ、生産は順調に右肩上がり。義父母も歳を重ねて他所の農園との掛け持ちもキツくなってきたこともあり、残りの半分も潰して養鶏場を建て増しすることに。そして、昨年には最大規模となる三号棟を増設。義妹夫婦だけでは手が廻らないので、ちょうど職業訓練校を卒業したばかりの義弟に任せようということになりました。

 義弟は中学生の時にそれまでの学校に馴染めず、隣村の学校へ転入し、宿舎生活をしながら同系列の高校を卒業。当初は「卒業したら直ぐにでも働きたい」が口癖でしたが、末弟としては上の姉四人が全員学部卒以上という事実にコンプレックスがあったのか、卒業直前になって職業訓練校へ進むと言い出し、村から少し離れた小さな町へ。

 二年間の学業を終えた時点で更に進学して学士を取得し、学んだ都市設計知識を活かして政府系の仕事に就くことも出来たのですが、何故か生まれ故郷である田舎の村へ戻ることを選んだ義弟。

 この世界においては、多くの人が生まれた町や村で成長し、仕事に就き、恋をして、家族を作り、そして死んでいく。

 日本に生まれ育った人間としての「平凡」という括りの中には存在しないような生き方をしてきた自分が、こんなことを言うのはおかしいのかもしれませんが、義弟や義父母のように生まれ育った場所で一生を過ごすことは、実のところ本当に得難い幸せのように思えます。

 だから、義弟が村に戻り、養鶏場を営み、母親のお節介に苛立ったり、時には甘えたり、そうやって「ありふれた人生」を歩んでいく姿を、どこかで安堵の気持ちとともに見つめている自分がいます。外の世界への憧れさえ持たず、触れる事のできる範囲の幸福を願い、ただただ手の中にあるものに満足して、身近な人たちと諍うこともなく、淡々と日々平穏に暮らしていけるのなら、それが一番なのかもしれません。

 私のように衝動だけで流されながら生きていくような人生を、できることなら義弟には選んでほしくはないのが偽らざる気持ち。それがいかに身勝手な願いであるかは自分が良く解っています。それでも思わずにはいられません。どうか彼のこれからが、世界のざわめきの中に飲み込まれ、壊されてしまうことのないようにと。

福嶋タケシ