イード・ムバーラク

投稿者: | 11/08/2019

西暦2019年8月11日は、イスラームのヒジュラ暦では1440年12月10日。

この日は、メッカの地で巡礼の主要行事を終えたハッジ客達がイフラーム(巡礼服)を脱ぎ、巡礼の無事遂行を喜び合う日であると同時に、ハッジに参加できなかったムスリムにとっては、羊(地域によっては牛)を犠牲に捧げる”عيد الاضحي”、犠牲祭の日である。

この日、各々の地において日の出の後に集団礼拝を行う。基本的には屋外で行われることになっているのだが、諸事情でそれが実行できないところでは、通常のモスクを会場に使用することもある。

カタールでは夜明け前の礼拝(ファジュル)のアザーンが鳴り響くのが03:40。礼拝そのものは、アザーンから25分後に始まる。いつもは横幅100m弱の礼拝スペースに2列並ぶかどうかというグランドモスクも、今日だけはファジュルの時点で相当な数の人が中にいた。

皆、それぞれに上等の服を身につけている。何も新しいものである必要はなく、キレイに整えられたものなら何でも良い。

礼拝を終えた後もその場に残り、タクビールと呼ばれる神への賞賛をひたすら唱え続ける。

日の出から15分後、太陽が完全に姿を見せる頃、タクビールを止め全員が立ち上がり、イードのための礼拝が行われる。礼拝の後にイマームによる説法が始まるが、礼拝を終えた時点でイードとしての行事は済んでいることから、説法を聞かずに会場を後にする人が多い。

一緒に来た家族や友人達とイードを迎えられたことを喜びあい、あるいは遠くにいる妻や子供たちとスマホ越しに挨拶を交わす。

そのまま友人の誰かの家に集まる人もいれば、一旦家に戻り平服に着替えて友人たちとカフェへ繰り出す者もいる。

カタール人たちは、親族同士の訪問で忙しい。またこの日だけはディーワーン(首長府・謁見の間)が解放され、国民であれば誰でも首長にイードのお祝いを述べに行くことが出来る。

妻が休暇でまだタイにいる私は、1人で礼拝に参加し、1人で家に戻った。

アパートの一室、西日が良く入る部屋で、コーヒーをフレンチプレスで淹れて飲んでいるところへ、カタール人の友達から電話が。

「今日のお昼は飯食いに来いよ。正午の礼拝の前には到着しておけよな」

あぁ、また部族の誰や彼やが集まってくる場へ出向くのかと思うと、やや憂鬱ではあったが、別に部屋にいてもやることなどなく、彼らとの付き合い方というものを嫌というほど肌で知っている私は、シャワーを浴びて気持ちを引き締めてから車に乗り込んだ。

いつものマジリスにはすでに先客がいた。少し早く着きすぎそうだったので、かなり抑えめのスピードで運転してきたのだが。

若いのから、長老格まで、入れ替わり立ち替わり。誰しもそれぞれに親族回りに忙しいようで、10分ほど座ったらすぐに退席。結局、昼飯時に居たのはホストである親父さんを含めて若いのが10人程度だった。それでも、この場に顔を出すことにこそ意味はある。ローカルと付き合うというのは、そういうことだ。入ってきたお客が怪訝な顔をしながら愛想のない握手をしてきたとしても、堂々とベドウィンのように挨拶を返す。その場に自分がいることへの違和感など微塵も持ってはいけない。

先日、親父さんに言われた。

「お前さんは、”家族のような存在”じゃないんだぞ。お前さんは”わしら部族の一員”なんじゃ」

かつて同じようなことを、そう20年近く前のあの砂漠の町で言われたことがあった。
それはとても嬉しいことだけれど、同時に怖くもある。外国人あるいは余所者として許容される、お互いを隔てる溝というある種のクッションがそこにはない。仕来りや掟が言い訳を許さない空間。

「イード・ムバーラク。また明日」

親父さんに挨拶をしてマジリスを出る。
未だ灼熱の夏日の下、やや強めの西風が頭に被ったゴトラを揺らした。

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