そこに在る価値

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マレーシアで働いていた義妹が村へ引き揚げてくるので、国境まで出迎えに行ってきました。

タイとマレーシアの間には幾つかのイミグレーションがあります。陸路でこの二国を行き来する旅行者にはスンガイコロクが有名ですが、今回はそこからさらに東側のタクバイというところ。

義妹はクアラルンプールを前夜に発って長距離バスに乗り、翌日の早朝、対岸のマレーシア側イミグレーションへと到着。出国手続きを経てからフェリーでタイ側へ入国しました。帰省する時は毎回このパターンだったようです。普通の観光バスの座席に約8時間ほど揺られるそうな。自分にはもうそんな旅は無理だ。若さが眩しい。

義妹と無事に合流し、河岸に並ぶ市場をしばし見学。道の両側に並ぶ店の間をさらに奥へと進みながら、軒差にぶら下がる大量の商品を掻き分けるように狭い路地を歩いていると、いかにもアジアの市場といった雰囲気が味わえます。新鮮な果物はマレーシアから運ばれてきたものも多いそう。ドリアンは季節が終わってしまい目にすることはなかったのだけが心残り。

この市場、支払いはキャッシュのみ。だから通りの真ん中あたりに不自然にATMが2台鎮座しています。キャッシュレスなど無縁の世界。

妻と過ごしている村の中でも、全てはキャッシュでやり取りされます。子供たちが家に遊びに来れば、大人たちは彼らにお小遣いとして小額紙幣を握らせます。

妻は先月銀行へ行き、氏名変更の手続きをした際に、ネットバンキングの登録をしました。スマホの画面に映し出されたアプリを嬉しそうに操作している彼女と同じように、若い世代にとってのお金とは小さな画面に表示される数字のことかもしれません。

お札という実体があろうとなかろうと、お金の存在価値に違いはありません。時代とともに姿形を変えているに過ぎず、その本質は同じままなのに、まるで価値そのものが増えたかのごとき錯覚が蔓延しているような印象を受けるこの頃です。目の前にあるものは何も変わっていないのに。

福嶋タケシ