生きること、死ぬこと

投稿者: | 29/10/2019

私たち夫婦が巡り会うきっかけを作ってくれた、いわば”仲人”はタイ深南部のヤラー県にあるイスラーム大学(当時はYala Islamic College、現在のPattani Islamic University)の学長。

私の勤め先の幹部から頼まれて、カタールから突然やってきた日本人の私を快く受け入れ、花嫁候補探しを手伝ってくれました。

そんなこともあって、結婚した後も、村から車で1時間掛けて大学まで挨拶に向かうのが毎年の帰省時の恒例イベント。

その学長が前夜事故にあったと妻から連絡が入ったのは、休暇で日本にいた先月半ばのことでした。Satunという街で知人の葬式に参列した帰りの出来事。突然道路を横切ろうとした子供を避けようと、ハンドルを切り損ねた車は路肩のコンクリート柱に激突し、ちょうど柱が命中した左後部座席にいた学長の奥さんが車外へ投げ出されて即死だったそうです。学長の乗った車が先頭を、そのすぐ後ろに奥さんの同乗する車が。学長は別の車に乗っていたために無事でしたが、事故の瞬間をおそらく目撃してしまったのでしょう。弔問に駆けつけた人たちの話では、泣き崩れて見ていられなかったと。

SNSに息子がアップロードしたであろう写真。奥さんの遺体に添い寝するように横たわる学長の姿が痛々しい。同じ車には学長の実妹も乗っていましたが、彼女は幸いにも軽い怪我で済みました。生死を分けたのは何だったのか。そんなことなど今の学長にとってはきっと虚しい問いかけでしょう。

妻が言います。「病気なら…勿論悲しい、それでも周囲に覚悟の猶予があるけれど、一瞬で死んでしまうなんて…耐えられないわ」

もし、子供が道路を横切ろうとしなければ、そのタイミングに車が通りがかることがなければ、あの日、遠い街まで行っていなければ…虚しいことと分かっていても、存在しなかった過去の出来事をいくつも想像してしまいます。

数週間後に訪れたタイで、学長に会う機会がありました。彼がどんな表情をするだろうかと思うと、悔やみの言葉を掛けることが私には出来ませんでした。ただ、いつものように挨拶を交わし、お互いの仕事に絡んだ近況報告だけ。こころなしか学長はいつになく饒舌で、カタールの近況について沢山の質問を投げてきました。

生きているというのは、奇跡の連続。それ以上の現実は、ないのです。本当に。