哀れみで人は救えない

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日中はまだ25度ありますが、日が陰り始める午後遅くなら木陰に入れば過ごしやすい気候になってきました。

最近の我が家は暇さえあれば公園へ。昨日は朝から公園内にあるレンタル屋で自転車を借りて1時間ほど走り回りました。緩やかな起伏のある公園内には、自転車専用道も完備されています。人が少ない時間帯ということもあって、二人とも思いっきり漕ぎまくって汗だく。

その後は友達家族と合流してプチピクニック。

食べ終えたプラスチック食器は、後でゴミ箱にまとめて捨てようとマットの外に置いてあったのですが、ふらりとやってきた清掃係が何も言わずにサッと持って行きました。

公園内には清掃係がホウキとチリトリを持って、朝早くから夜遅くまで巡回しています。機械洗浄をする担当者もいます。彼らがいるお陰で公園はどこを見てもゴミ一つ落ちておらず、いつもキレイな景観を保っています。一方で清掃係がいるからとズルをしてゴミを置いていくような人も見かけません。ただし、ゴミ箱まで行くのが面倒なのか、清掃係を呼んでゴミを渡す怠け者はたまにいるようですが。

彼らは自治省に雇われた職員。いうなれば公務員です。勿論のこと低い賃金で働いています。それでも国に帰ればそれなりの価値を持つ額でしょう。

ゴミが出なくなれば彼らは仕事を失います。”鶏が先か玉子が先か”にも似た、このような議論は常に湧いてきますが、少なくとも彼らから仕事を奪うような形にしないことが大事なのは言うまでもありません。

誰かの仕事に貴賤を当てはめて批判する人がいますが、それは強者の理論でしかなく、また彼らを憐れむだけの感情論では、誰一人として救うことは出来ないのです。

たまたま出会った相手に5リヤルでも10リヤルでも良いから、労いという名のお金を手渡す。施しではなく、労いです。ありがとうという感謝でもいいです。それくらいしか出来ないのかと言われても、やらないよりやったほうが良いことがこの世の中には沢山あります。

「クリック一つで」「1RTにつき」そんな謳い文句に乗せられて「寄付したつもり」になっている。結果的には誰かを救うことになるとしても、何もしていないのと同じです。少なくとも画面のこちらでマウスを握っているあなたは。

自らの身を切り取らなくては、誰かを救うことなんて出来ません。自分の一部を差し出すことなく、誰かの幸せを作り出すことが出来ると考えることは、ただの傲慢でしかないのです。

福嶋タケシ