これまでのこと、これからのこと(5)

投稿者: | 25/01/2020

当初は1年間と言われていた留学も、個人的な目論見どおりに2年目を過ごすことができましたが、もはや終わりに近づこうとしていました。
予定通りなら、ここで留学を終えて日本へ戻り、中東に関連のある企業でも受けて駐在員として再び戻ってくる、そんな青地図を描いてやってきた当初。

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しかし、予定になかったベドウィンたちとの出会いが、その考えを狂わせました。
私はこの地から、人々から、離れることが出来なくなっていたのです。

3年目の留学申請、この留学を斡旋してくれた企業にそれを頼むことは、既に次の留学生が来るという状況では難しい話。
そのことを友人に話すと、彼は学長に掛け合って、3年目の留学延長を認めさせました。学長とは旧来の仲だとこの時初めて知りました。そう、湾岸で常識の ”コネ社会” を目の当たりにした瞬間です。

学長に頼んだ以上は、ちゃんと授業に出るんだぞ、と彼は言いましたが、その言葉とは裏腹に、今までどおり午前中に電話で呼び出される日々に変化は起きませんでした。

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でも、そんな3年目の留学も、所詮は刹那的なものでしかないことを私は知っていました。仕事を探して、アブダビやドバイ、シャルジャといった他の首長国へと毎週のように足を運びましたが、アラビア語ができる程度の日本人を雇ってくれるところなどありません。ある日系企業の担当者は「アラビア語ができる日本人よりも、英語のできるローカルが我々には必要だ。なぜなら我々は現地とのコネを欲しているからだ」と言い切りました。
日本人は要求する給与水準が高いとみなされることも足かせとなりました。同じ仕事内容なら、日本人には信じられないほどの安い給与で働くアジア系出稼ぎ労働者の方が、企業としてはコストパフォーマンスは明らかに高かったのです。

さらに追い討ちをかけるように、当時のUAEではローカライゼーションが始まっていました。つまりは政府系を中心に、各所でローカル職員を積極的に雇うという方針で、この年の夏に一時帰国から戻った私は、学生寮や大学内の職員の大半がローカルに取って代わった状況に焦っていました。

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沙漠から離れたくない、ずっと傍で暮らしていたい。それが本音でした。アル・アインで仕事が見つかれば、それが一番望むこと。友人もあらゆるツテを探ってくれたましたが、ローカライゼーションの波は想像以上に早く進んでいたのです。

もはや、日本へ帰るしかないのか。

日本という国が嫌いなのではありません。この地が好きなのです。
それでも、このまま沙漠とは片思いで終わるのかな。そう思ったら、泣きたくなりました。

帰国への準備も視野に入れて、留学生活の後始末を始めた、そんな矢先、友人の家にカタールという国からある親子連れが遊びに来ました。
子供たちは以前にも何度か見かけたことはありましたが、父親らしき人物を見るのは初めて。

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いつものマジリスで、いつものように昼食をみんなで食べていました。
お客さんはもちろん、友人の兄、そして珍しいことに友人もその場にいました。
食後、友人の兄が私を呼んで、その父親の前に座るようにと。
「この人を知っているか?」
「いえ…多分、初めて会うと思います」
「彼はオレたちの叔父さんに当たる人で、カタールで大臣をやっている」
「はぁ…..」
確かに、どこか威厳の漂う風格があります。
その後、しらばく彼らは大臣と何やら話を。
数分後、彼は大臣に、
「こいつはいつもオレたちと一緒にいる日本人。今あちこちで仕事を探しているが見つかっていない。どうだろう、そっちで面倒を見てやってくれないだろうか」

その頃、私はアブダビである仕事の返事を待っていました。それが最後の頼みの綱。無論、可能性が限りなくゼロだということも知っていましたが。

そんな中で、この話は願ってもいないことでした。ただひとつ、この地を離れなくてはならないことを除けば。

しばらく考え込む私に友人が言います。
「そんな可能性のないものをいつまで待つ気だ。向こうにはオレたちの親類が大勢いる、心配するな」
この時の私は知らなかったのです。いわば分家である彼らが、本家の人間に「こいつをよろしく頼む」と頭を下げることが、どれほど大変なことであるかを。ゆえに彼らローカルが、例え知人に対してであっても、そういった行動をとることは殆どないに等しいことさえ。

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1ヵ月後、ドバイ空港へ向かう車の中に私はいました。
3月のまだ冬の名残のする午後の日差しの下で、芽吹き始めたナツメヤシの緑色の小さな実を、心地良い風が揺らしています。

あと何度この木を見上げたら、ここに戻ってこられるのか。
新天地への不安と、離れがたき人々への想いとを抱いて、私は小さな二つのスーツケースと共に彼の地にしばしの別れを告げたのです。