着るだけでは済まされない

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自宅待機が続く中で、部屋の中を片付けていたら懐かしいモノが出てきました。

日付は2002年11月22日。この前日、職場のゲストが取材を受けるということで、彼らに同行して新聞社を訪れたのです。社内の一室でインタビューが進められていたところ、記者の一人が私に興味を示し、何処から来たのか?何をしているのか?と質問が始まってしまいます。

日本人であることを告げた時点で、記者の目が生き生きとしだし、別室で取材を受ける羽目に。

「結婚するなら日本人が良いけれど」とか何とか、そういう話をしたような記憶があります。記事を読めば思い出すだろう?って、いや恥ずかしくてすぐに棚の奥に仕舞いましたよ。

この時の私、写真にある通りターバンのようなものを頭に巻いていました。これはゴトラ(あるいはシュマーグ)と呼ばれる大判の正方形の布を三角に折って頭に巻く、UAEでは一般的な”ハムダーニーヤ”と呼ばれるスタイル。留学時代にかの地で私は偶然知り合ったベドウィン系ローカルの子供たちから勧められるままにこの格好をするようになりました。

彼らと出会うまでは、トウブ(UAEではカンドーラ)と呼ばれるワンピース状のアラブ服は着ていたものの、頭にはタキヤというツバなしのお椀のような白い帽子を被っていた私。ハムダーニーヤを巻くのは、外国人の自分には許されないような気がしていたのです。

実際、寮の中で見かける他の外国人留学生たちも、私と同じようにトウブを着ていても頭はタキヤだけ。ローカルと同じ格好をして浮かれているような人はいません。嘘か本当かは定かではなかったのですが、当時UAEでは”外国人が公共の場でローカルと同じ格好をする”と罰せられるという噂も耳にしました。

留学も2年目。ローカルの社会との付き合いに少し慣れてきた頃、いつも顔を合わせる部族の子供たちが私に尋ねてきました。「タケシはどうしてハムダーニーヤしないの?」と。

私は外国人だからダメなんだよ、と答えると「そんなことないよ!タケシは僕たちと一緒にいるんだ、僕たちと同じ◯◯族なんだから!」

ゴトラは持ってるんでしょ?じゃぁ明日持ってきてね!子供たちの勢いに押されて、前年の夏休みにアブダビの市場で買ったものの、使う機会のないままクローゼットに仕舞ってあったゴトラを翌日持参します。

子供たちがあぁだこうだ言いながら、私の頭の上で何やら右へ左へと手を動かし、どうにか完成。鏡を見ると、学内でいつも遠くから憧れに似た目線を向けていた、あのスタイルを纏った自分がいました。

その日、砂漠で私を見た長老たちは少し驚きながらも、日本から来た若造が一丁前にハムダーニーヤを巻くことを快く受け入れてくれました。

それから数年が経ち、私はカタールはドーハの街に暮らし始めます。カタール人は若者や小さな子供でもハムダーニーヤではなく、ゴトラの上にイガール(黒い輪っか)を載せるスタイルです。

しかし、ここでも私は自分が外国人という立場で彼らの真似事をすることに後ろめたさがあり、最初の一年間はハムダーニーヤのままで過ごしていました。

2年目の初め頃、長老の一人から呼び出された私は「お前はもうこれからカタールで暮らしていくんだ。いつまでもUAE人の格好をするもんじゃない」と叱られ、一本のイガールを手渡されました。

初めてハムダーニーヤを巻いた時と同様、最初の数日は恥ずかしさは勿論、カタール人が見たら怒られるんじゃないかとドキドキ。しかし、予想に反して職場でも特に咎められたりもなく、しばらくするとそれが当たり前の生活に変わっていきます。

それから半年ほどして、一時帰国のために空港まで同僚に送ってもらった時のこと、アパートまで迎えに来た彼が私の洋服姿を見て爆笑しつつ「何、その格好、似合わねぇ(笑 」

私もカタール人のセンスのない洋服姿を笑うことがありますが、まさか自分が笑われる立場になるなんて。

とはいえ、私自身がカタール人になったわけではありません。認められたというと語弊がありますが、着用することを受け入れられたからといって、彼らと同じ立場にいることにはならないのです。そこで悪いところまで真似していたら、ただの”なりきりコスプレ野郎”。ダサいだけ。

この格好をしていると、むしろ周囲からの視線が厳しいなと感じることがあります。それは否定的な意味合いではなく、期待値の高さといったもの。道端で当たり前のようにアラビア語(の湾岸方言)で話しかけられるのは言うまでもなく、例えばモールで買い物中に礼拝の時間になり、礼拝室へ入ると必ずといって良いほど先導役に推されたり、工業地区のような外国人労働者の多いエリアでは、常に彼らから丁寧に扱われる一方で、物乞いに絡まれることも多々。カタール人には見えないけれど、カタール人と同じ役割をどこかで期待されてしまう。

覚悟って必要かな。ファッションよろしく”カッコ良いオレ”だけでは済まされない、責任みたいなものを自覚するからこそ、彼らも受け入れてくれているのだと思うのです。

福嶋タケシ