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最近、妻と二人で日が暮れてから近所を散歩するのが日課になっています。

アパートを出て数百メートルほど歩いたところ、幅の広い道路に面して立ち並ぶヴィラと呼ばれる戸建てが数軒。塀があって中までは窺い知れませんが、よくあるシェアハウス的な使われ方をしているようです。

その並びの一番端は、私がドーハに来て初めて勤務した職場だったところです。今は隣接する建物同様にシェアハウスになっているようですが、2階の外壁には大きなサインが今も残されたまま。

入省して一週間ほどしてから、私は非アラブ系在住外国人向けの広報活動を行う部署に配属されました。そこにいたのは南アジア系を中心とした外国人職員。カタール人は一人もいません。国籍は多岐に渡っていて、フィリピン人、スリランカ人、インド人は言語別にそれぞれ担当者が。英語とタガログ語しか話せないフィリピン人を除き職場内の共通言語はアラビア語でした。いずれもアラブ諸国で専門教育を修めている彼らは、見事なアラビア語を操ります。

それぞれが自分の母国出身在住者を対象に業務を行っていましたが、日本人は数が少なく(2002年当時、ドーハいた在留邦人は90名弱でした)、広報活動の対象にならなかったため、図書管理という仕事が与えられました。

毎月のように様々なイベントが行われ、会場で配る書籍類の準備などをしているだけでは暇だったので、自分でイベント撮影を始めることに。当時のデジカメはまだ100万画素台が一般的でした。そんな中で今はもう無くなってしまったミノルタというメーカーから出たばかりの500万画素の高倍率ズームカメラを手に入れ、それで勝手にパシャパシャと撮っては本省の関係者に勝手に送信していました。

勤め初めて1年経つか経たないか。統括責任者と業務と待遇を巡って揉めたのをきっかけに、私は本省のIT部へと異動します。当時、いえ今でもそうですが、政府内において外国人職員が本人希望で部署間を異動することは滅多にありません。と言いつつ、実はこの後も2度同じような経緯で異動することになるわけですが。

それはさておき、毎回この建物の前を通る度に、あの頃のことがくっきりと思い出されます。18年も前のこと。当時はまさか職場の近くに自分が住むことになるなどとは想像もしていませんでした。

福嶋タケシ