初めての救急車、そして手術

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2月22日、この日は朝から調子が悪く、帰宅してからはずっと居間のソファーで横になっていました。

夜に入り、ベッドで寝る気分になれず、そのまま居間の絨毯の上に。しかし、深夜に入って更に激しい腹痛が始まります。トイレに行っても何もなく、じっと我慢も限界に達し、隣人に頼んで救急車を呼んでもらうことに。30分後には市内の国立病院へ緊急搬送されました。

救急外来は噂に聞いていたとおり、大した怪我でもなさそうな出稼ぎ労働者たちで待合室は埋め尽くされ、到着してから医師の診断を受けるまで待つこと数時間。当直の医師では判断ができないということで、CTスキャンを撮るための準備に入ります。30分おきの造影剤を飲んで何度目かという朝7時頃に、その日の担当医師がやってきました。

医師は触診だけで「これは虫垂炎だね」と判断し、検査をすべてキャンセル。すぐに手術の必要があるとのことですが、当院にはあいにく空き室がないと。カタルの国立病院は2018年初頭現在で4カ所。運び込まれたハマド病院の他に、アルワクラとアルホール、いずれも空きがなかったため、もっとも遠いドッハーン地区にあるキューバ病院へ搬送されることになりました。

ハマド病院からの連絡を受け、キューバ病院から救急車が出迎えに来ます。車内は私ともう一人救急患者が。彼は一人で乗車し自分で歩行も出来るようでしたが、私は付き添ってくれた妻の手を握ったまま、もうひたすらベッドの上で唸っているだけ。市内から病院までは車で1時間弱。その時間さえ永遠に感じるほど。

到着したのが正午過ぎ。事前に症状確定のためのCTスキャンが行われたのですが、この造影剤の副作用がハンパなくきつかった。ずっと悪寒が止まらないままベッドの上でがたがた震えつつ施術の時間を待つハメに。

夜に入ってから行われた手術は、幸いにも腹膜炎まで発展していなかったこともあり、1時間半ほどで終わったらしい。手術台に運び込まれて、注射を一本打たれた直後に意識がなくなって、次に目が覚めたのはほぼ夜中。そのまま一般病棟へ戻されるのかと思いきや、血液酸素濃度など各種数値が足りないとか何とかで、なんとICUへ。

ICUは壁際に大きな仕切りと全面ガラス扉で構成された個室形状で、全ての部屋が見渡せる中央にナースステーションという構造。それぞれの部屋に専属の看護士が1日3交代で常駐しています。個室のICUなんて初めて見たよ。

この病院はその名の通り、医師も看護士もほぼ全員がキューバ人。カタール人患者対応のために何名かアラブ人がいるようでしたが、私の病棟では見かけることはありませんでした。職員同士で話している時はスペイン語なので何を言っているかサッパリ分かりませんが、患者である私とのコミュニケーションで使う英語はそこそこ聞き取りやすいものでした。

ICUに運び込まれて最初に目が覚めたのは、手術の翌朝のこと。今から体を洗いますよと看護士に声をかけられ、体を動かそうとして初めて自分の状態を認識しました。点滴と心電図用のセンサー、それにカテーテルを入れられているではありませんか。たかだか盲腸の手術、何が起きているのやら。

それより、こんな状態でどうやって体を洗うのだろう?と戸惑っていたら、もう一人スリランカ人の助手が入ってきて二人がかりでお湯を掛けながら私の体を洗い始めます。ベッドが水浸しになるかと思いきや、吸水シートが一面に敷き詰められていて、体を右左と横倒しにしながら背中も洗い終えると、そのまま新しいシートに交換。あっという間にキレイさっぱりになりました。その間は当然ながら素っ裸だったわけですが、手術後でクタクタだったため恥じらいなど微塵も感じず。

ICUで過ごしたのは4日間。火曜日のお昼前にようやく一般病棟へ

妻はその間ずっと最初に通された一般病棟の個室で寝泊まりしてくれていました。病院の周囲には何もないため、彼女の友達たちが日用品や着替えなどをわざわざドーハから運んできてくれたそうな。ありがたいことです。

体中に付けられた管やら針やらが徐々に減っていき、緊急搬送から一週間経った木曜日にめでたく退院となりました。

さて、ここまで至れり尽くせりの入院生活。いったい料金はいくらになるのだろうかと、退院当日に妻と二人で戦々恐々としていたのですが、最終的に支払ったのは、1日当たり100リヤルの病室代を4日分(救急患者だったので、最初の2日分は免除)と、薬代の約180リヤルのみ。

年に一度100リヤルで更新する健康カードを保有しているというだけで、これだけの金額でレベルの高い医療を受けることができるのです。すごいぞカタール。そりゃビザ申請で健康チェックが厳しく行われるのも頷けます。

アラブ人医師や職員が多い他の病院と比べて、働いている人の殆どがキューバ人だったのも自分には肌が合いました。英語でのやりとりはそれほど苦痛ではなかったですし、何より明るい彼らの性格に助けられたように思います。それに補助で働いているネパール人やフィリピン人たちも、下の世話などイヤなそぶり一つ見せずにテキパキと動いてくれたのも印象に残っています。

院内では「日本人が入院しているらしい」と噂になっていたようで、時折他の患者の担当医や看護士がICUのガラス扉越に何やら話しているのが見えました。

日本人だと分かると「イチローはナンバーワンの選手だね!」と。流石は野球の国。

もう二度と手術や入院は味わいたくないところですが、万が一の時はまたここでお世話になりたいなと思ったりもするのです。

福嶋タケシ