異国で暮らすということ

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見知らぬ国を訪れる。美しい景色や街並み、あるいは行き交う人々の姿に心躍らせ、ここで暮らしたいと思ったことがある人は、決して少なくはないはず。

しかしながら、そこにある「心地良さ」は 、「お客さん」という立場に付随しているものに他なりません。

どんな共同体でも、お客に対して無碍な扱いをするところはないのです。人間が本来持っているホスピタリティの心と、あるいは「2,3日すれば帰国してしまう、通りすがりの縁の薄さ」に対する警戒心の低さも伴って、旅人に優しい人たちは世界中にいます。

ともかく、そうやって味わった非日常を思い違いしたまま、いつかあの国で暮らす自分を妄想してしまう。経験値の低い若い世代ほどそうではないでしょうか。

ところが実際に生活の場をそこへ移そうとすると、相手の態度や反応が急に変わったことに気づきます。お客さんならすぐ消えていなくなる。しかし、働いて暮らす住民となれば話は別です。仕事を奪い合い、自分たちの習慣や倫理を破壊しに来た「外敵」となります。

ならば、彼らが持たぬものを持つ者であることを武器に戦う。
もしも貴方が何一つ武器を持たぬ者であるのなら、彼らがやりたがらない仕事を率先してやる。勿論それには理由がありますよ、キツイとか安いとか、ね。しかしながら武器を持たない以上、これしか道はありません。

要は相手の国やその国民にとって”メリットがある”と判断されるような存在でなくてはらないということ。その国や文化が”好き”だとか”憧れている”とか、そのような感情は何らの助けにもなりません。

祖国以外の場所で働きながら暮らすというのはそういうことなのですよ。

福嶋タケシ