民族衣装を着る

An Arabic man wearing traditional Arabic dress (Thoub).

初めてアラブ服(”トウブ”あるいは”カンドーラ”と呼ばれる白いワンピース状の男性用着衣)を着たのは、UAEに留学して半年ほど経った頃だ。

念願だったアラブでの留学生活。サウジに住む知人から以前貰ったトウブを着る気満々だった私は、ローカル(湾岸人)から「君は外国人だろう?軽々しく着ないほうがいいよ」と忠告を受ける。そういえば学生寮や学内でローカルと同じ格好をしている外国人留学生は一人も見かけない。外国人ましてアジア系が気軽に真似して良いものではないと感じ、憧れはありながらも諦めて洋服で過ごすことにした。

夏休みに入る前に、ローカルの友達を訪ねてアブダビへ行った際に、市場に付き合ってもらってアラブ服と被り物一式(ゴトラとイガール)を買った。しかし、ここでも彼からは「着るのは休みの日だけにした方がいいね」と言われた。

それでも、元々自分はムスリムだから被り物さえしなければ問題ないだろうと、夏休みが明けた新学期からアラブ服だけを着て登校するようになった。

やや奇異な目を向けられている気はしたが、特に文句を言われることもなく、次第にそれが普段着になっていった。

2年目の初めに地元に住むベドウィン系ローカルたちと知り合った。子供たちが「どうしてゴトラ(頭に巻く白い布)を着ないの?」と聞いてくるので「自分は外国人だから、着ないほうがいいと思って」と答えると「タケシは僕たちと一緒にいるんだもん、そんなの気にしなくていいよ!」

それならば、と次の日は見よう見まねで頭に巻いて行った。しかし適当に巻いているので見た目がUAE人のそれとは程遠い。そのだらしない格好を見かねた子供たちがきちんとした巻き方をレクチャーしてくれた。

それ以降、UAEを離れるまでその格好で過ごすことになるのだが、学生寮内などでの周囲からの目線はそれまで以上に突き刺さるようになる。

それでも着用し続けた理由。それは子供たちも含めた部族の大人たちから「それでいい」と認められたこと、その一点に尽きる。しばらくすると洋服で出向くことが失礼に当たるような雰囲気になり、やがてアラブ服を着る以外の選択肢はなくなってしまった。

そしてカタールへ。

カタール人はUAE人の若い世代がやるようなターバン巻き(ハムダーニーヤと呼ばれる)はやらない。小さい子供でも正装する時はゴトラの上にイガール(黒い輪っか)を載せる。

ターバンスタイルだった私は、ここでまた周囲から浮いてしまう。

しかし自分でイガールを買って被るのには抵抗が。ただカタール人の真似をして浮かれているだけだと思われるようで嫌だった。同時にどこかUAEでの暮らしを捨てるような後ろめたい気持ちもあった。

一年ほど経ち部族の本家に遊びに行った際に、「もうお前はカタールに住んでいるんだ。いつまでもUAE人の格好をしていてはいかんぞ」と言われ、新品のイガールを渡された。

気恥ずかしさと初々しさがないまぜになる、そんな久しぶりに味わう酸っぱい気分のまま翌日職場へ。

職場では同僚たちが最初は驚いた様子を見せたが、「何故その格好をしているのか」とたしなめたり批判したりする人はいなかった。

それ以来今日まで、年に一度のスポーツデーを除くと仕事ではカタール人同僚たちと同じスタイル。プライベートでも週末に海辺へ出掛けたりする時だけ洋服を着用し、それ以外でカタール国内にいる間はどこへ行くにもこの格好。

日本大使館の新年会にもアラブ服のままで行くので、正直警戒されてるのは薄々感じている。しかし、今更洋服を着ようと思わないし、もしそんなところを部族の人間に見られでもしたら、何を言われるかわからない。ベドウィンたちは八方美人を最も嫌う。カタール人に敬意を評して着用するなら、どんな場合であっても筋を通さなくてはならない。

モールを歩いていると「擦れ違うカタール人がガン見してるわ」と嫁さんがいつも笑う。

外国人、特にアジア系がこの格好をすることに不快感を持つカタール人が少なからずいるが、大半の人は歓迎してくれる。ただし、コスプレよろしく”特定の場でお試しのように着用”するならという条件付きだ。つまり結婚式や知人のマジリスなど限られた空間でなら構わないということ。

モールなど公共の場、まして職場などの正式な場においてこの格好をするのはハードルが高い。アラビア語で会話ができなければ、それだけで場の空気が白けるし、マナーや所作も大事だ。走り回ったりするのは端ないと見られるし、アイロンがけを忘れて皺くちゃのままなど論外。また意外と難しいのが食事で、相当慣れていないと真っ白なアラブ服のあちこちに染みが出来る。

外見だけを真似て中身が伴わないのでは、相手へのリスペクトの気持ちは伝わらないのだ。

そして最も大事なのは”自分が外国人だと自覚する”こと。カタール人を気取ることは「思い上がり」と映る。あくまでも他所者としてこの国に住んでいる事実を忘れてはいけない。

挨拶と敬意

湾岸人同士の挨拶の基本は右頬を3回軽く触れさせるものだが、外国人、特に非アラブ系が相手の場合は握手で済ませる人も多い。

一方で同じ湾岸人でもベドウィン系の挨拶は独特だ。お互いの鼻と鼻をチョンと触れさせる。顔を至近距離まで近づけるこの挨拶は、通常は同じ部族や付き合いのある部族の出身者同士でしかやらない。ただし、若い世代だと相手が外国人でも付き合いの深い場合は親しみを込めてやることもある。

長老や年長者に対しては鼻の頭か額にキスをするのが最敬礼の形になる。だが、これは外国人が通常やってはいけない挨拶。何故なら、この挨拶は単なる形ではないからだ。

相手に「自分は何も(武器など)持っていない」ことを証明する行為である「握手」と違うのは、この行為は「相手に対する畏敬の念」が前提という点であり、主人と客という以上の人間関係を持たない外国人が、湾岸人になったつもりで真似をしたところで、所詮は「形だけ」だと映り、周囲の失笑をかう。

そもそも相手が外国人なら長老も顔を近づけてきたりはしないし、こちらから顔を近づけようとすれば握手している手をぐっと押し返してくる場合もある。それは「お前にはその資格はない」という意思表示だ。

どんな社会あるいは共同体においても、それぞれの立ち位置というものが必ずある。一方的な思い込みだけで相手の懐に入ったつもりになって、表面的なことだけを真似てみても、結局は余所者扱いで距離を置かれてしまう。自分の立場を自覚し、相手から期待される言動を心がける。最初の一歩はそこからしか始まらない。

内と外

今週初めのことだ。

毎週月曜日の夜は夕食会。この日もいつものように親父さんのマジリスへ出かけた。

普段通りに食事も済ませ、デザートを食べながら少し端の方に座って、さて友達と下らない話でも……と思ったら、親父さんに呼ばれて隣の席へ。

年長者と話をするのは気を使う。それが十数年付き合いのある気心知れた親父さんであっても。

しばらくして、小さな子供たちも皆食べ終わり、使用人が入ってきて後片付けを始めた頃に、一人の出稼ぎ労働者風情の男が突然マジリスに入ってきた。

こういうことは稀にある。大概が古ぼけた紙切れを見せながら「これは妻(あるいは親、家族)の診断証明書です。今すぐ手術が必要ですが、お金がありません……」と物乞いを始める者。あるいはプラスチックバックに詰め込んだウードと呼ばれるお香の一種や数珠などを売り始める者。

それ故に彼がいきなり入ってきても驚くようなことではない。

ところが、この男は手ぶらだった。

マジリスの端にいる給仕や常連の外国人客に挨拶をしながら中心へと回り、そして親父さんの前までやってきた。親父さんは険しい顔付きになり、男が差し出した手に握手をしようとはせず、

「お前、何処から来た?」

男は意外な反応に少しビクビクしながら、パキスタンから来たと答えた。そうじゃない、親父さんは「勝手にマジリスに入ってきて、お前は何処のどいつだ?」と聞いたのだ。

それから親父さんは近くにいた息子を呼び、この男を外へ連れて行って、IDカードか乗ってきた車の番号を控えておくように命じた。

息子に促されて男がマジリスの外へ出た後、親父さんが私に言ったのは、

「いいか、あれは盗人の仲間だ。挨拶に来たふりをして、マジリスにあるものを横目でチェックしていただろ?何があるか確認しておいて、数日したら仲間と盗みに来るつもりだったんだ」

100%の確信を持てなかったが、しかし男が何も持たずに入ってきたことを考えれば、親父さんの読みもあながち間違ってはいない。また親父さんが言うような被害を実際に被ったマジリスもある。一見の外国人がマジリスに入ってくるには、何かしら損得勘定があってのことで、それ以外はあり得ない。

道すがらすれ違う誰とも分からぬ相手でも気さくに挨拶を交わすこの社会だが、マジリスの中だけは別。ある意味で「許された」者だけが立ち入ることの出来る空間だ。長い付き合いの中ですっかり慣れてしまって忘れていた。自分がいかに贅沢な場所に立っているのかを。

確かめる為の方法は

もうすぐ今年のラマダーン月。
明日15日の夕刻、日没直後に東の空を登ってくる細い新月が目視できたら、翌日から断食が始まる。厳密に言えば、新月が観測された日からラマダーン月なので、夜の礼拝に続く長いタラフィーハの礼拝はこの日から始まることになる。

毎年この時期になると、新聞などで「観測データによる今年のラマダーン開始日」が報じられる。それによれば今年は15日の日没後は新月ではないため、ラマダーンは17日からになると言われている。

計算上は確かにそうなのだろう。しかし、世の中には人の知の及ばないことがまだまだたくさんある。見えないと断言することは危険だ。そもそも「肉眼で目視」することが条件なのだから、例え計算可能な現象であっても目で探す必要がある。

思えば、デジタルという目には見えない伝達方法が世界を覆い始めてから、人は「その目に見えること」「その手に触れるもの」という実感を蔑ろにしてきたような気がする。
見えるか見えないか、それすら判らないという状況をむしろワクワクしながら待つほうが、その瞬間をもっと強く噛みしめることができるのではないのだろうか。

デーツフェスティバル

スーク・ワーギフ(Souq Waqif)で2月15日から開催している「デーツフェスティバル」に行って来た。3月15日で閉幕ということで、普段なら日が暮れてからの外出を嫌がる嫁さんが「早く行かないと終っちゃう」と積極的姿勢(笑

会場は去年に比べるとほぼ倍の面積に。平日だったこともあってか、混雑する様子もなく、ゆっくりと見て回ることができた。

カタル系のお店も並んでいるが、殆どはイラン産やアルジェリア、チュニス産のデーツを販売している。柔からめが好きな嫁さん、あちこち味見した結果、チュニス産とアルジェリア産を何箱か購入。正直言って安い感じはないが、普段スーパーなどでは手に入らない銘柄が一箇所で買えるのがこの手のフェスの醍醐味なので、まぁそこは突っ込まないことに。

ベドウィン社会のしきたり

先日のような大きな集まりの他に、カタル人達は普段から親族同士で頻繁に顔を合わせる。

大概は部族の中の年長者のマジリスに集う。その家の長を中心にして年配者が上席に座り、少し離れて若い連中、子どもたちは入り口近くの端の席が定位置だ。人数が増えれば子どもたちは家へ入るように促される。

マジリスに入った際に、上席(殆どの場合は入口から対面する席)の中心にその家の主とそれに親しい年長者がいるので、まずは彼らに挨拶をする。

湾岸のベドウィン独特の挨拶の仕方に鼻の頭同士をチョンと接触させるものがある。親しい間柄や年齢の近い同士であれば鼻と鼻でやる。もし相手が父親や祖父、ないしはその年代に近い年長者であれば、相手の鼻の頭や額あるいは頭にキスをするのが、最大限の敬意の表し方となる。

余談だが、顔をかなり近距離まで持っていくこのやり方は、当然ながら外国人がやるのは場合によっては失礼に当たる。若い者同士なら相手が外国人でも砕けた感じでやることもあるが、年配者や長老となれば話は別だ。特にお客という立場でやってしまうと周囲がしらけてしまう。共同体の一員でもないのに、よく知らない、親しい関係でもない相手にやるということは、その行為が心からの敬意によるものではなく、格好だけだと見えてしまうからだ。

食事の順番も決まっている。やはり長と年長者が最初に手を付ける。彼らがおいおい食べ終わるのに合わせて若い層が席につく。若い連中がが終わる頃に子どもたち、という順番になる。

年功序列。これが部族社会の最も基本となる基準だ。外国人はあくまでも「お客さん」扱いなので、そういったことを気にする必要はない。座る場所を間違えても「あちらにどうぞ」と丁寧に誘導してもらえる。食事も最初に手をつけることが出来る。

しかし、私はこの序列の中に入れられてしまったので、彼らのしきたりに従っている。彼らの社会規範の中に身を置くということは、「現地人化した」などという軽いノリとは全く違う。外国人だからと許されたことも一切妥協されなくなるということだ。粗相をしても「外国人だから」という言い訳など受け入れられない。知らなかったで済まされない。

友達のマジリスに顔を出したり、たまに他の人のマジリスに連れて行かれた際に、挨拶のために上席に並んだ年配者たちのところへ行くと、相手は当然だというように顔を近づけてくる。この服装と蓄えた髭で、例え顔つきがカタル人でなくても、「こいつは解っている」と判断されるのだろうか。そこで照れてはいけない。カタル人達がやるように真面目な顔をして、当たり前のように長老の額か頭にキスをする。

年を取った近頃ではもう出くわすことはないが、10年程前ならマジリスで自分が一番年下という場面もよくあり、そういう時には自分が年長者にガホワ(アラビックコーヒー)を注いで回ったりといったこともやっていた。

この20年を振り返ってみれば、よくもここまで来たなと思う。本当に運が良かっただけだが。

集まる文化

久しぶりに部族の昼食会に顔を出してきた。

一族では最年長組となる親父さんの旧来の親友が、赴任先の国外から一時帰国しているとのことで、彼を家に招待しての大掛かりな食事会が催されることになり、息子である友達から誘いの電話を受けたのが木曜日の朝。

以前連れて行ったことのある日本人の友達も一緒に来いよと言ってくれたので、彼にも声をかけた。こんな機会は滅多にない。彼も二つ返事で「行きます」と。

当日は、親族や親父さんの交友関係など総勢60名近い参加者となった。

湾岸諸国では普段の付き合いの密度は日本人が想像する以上の濃さ。三日ほど顔を見せなかっただけで「お前は友達じゃないのか?」と言われてしまうほど。当然、親族同士、身内の付き合いは外から見ているよりも親密で、こうやって週に一度程度の大掛かりな集まりもあれば、平日の午後から夜に掛けての定例会的な集まりもある。

平日の集まりは親族のみというところも多く、外国人が入っていくのは難しいが、今回のような大切な客を出迎える集まりでは、「できるだけ大勢集まって欲しい」という理由もあって、多少緩い関係であっても招待を掛けることがある。

誇り

先週、Kataraにて行われていたダウ船フェスティバル。
最終日にようやく足を運ぶことができたのだが、会場に入って驚いたのが客の殆どがローカル、つまりカタール人の家族連れだったこと。
これまでのこの手の文化系イベントでは観光客を含めた外国人の姿が目立つのが通常だ。
 自分たちのルーツ、歴史や文化を若い世代に見せることは非常に大切なこと。 断交をきかっけにした愛国心の盛り上がりも関係があるのだろうか。

呼びかけ

東南アジア系とか、日本人もそうだが、政府要人みたいなエライさんに呼びかける時に、やたらと敬称を使いたがるのが不思議。

こちらでは、式典の挨拶文の中で首長や大臣に言及したりするときは、きちんとH.H.とかH.E.を使うけど、本人に直接呼びかける時は、もっとシンプルだし、親しみを込めてクニヤ(◯◯のお父さん、お母さん)で呼ぶことも少なくない。

実際、うちの職場でも大臣などに呼びかける時はクニヤが普通。会話の中で言及する場合でも「大臣が…」という表現を使う。

日本人は会議などで王族などに呼びかける時にも「Your Exelency」とか言うけど、これってちょっと不自然。それならアラビア語で「Sheikh」の方がまだマシ。

もちろん丁寧に接しようとしているからかもしれないし、逆にタメ口っぽく話しかけて馴れ馴れしくなってもいけないが、やたらと仰々しい言い回しは却って「媚びてる」風にも取られるから、あまりやらない方がいいと思う。

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